Maple Honey
 


 





 玄関を開けようとして、サスケは両手にぶら下げた荷物を片手に持ち直した。
 両手に分けていてもそれなりにあった重量は片手だとますます付加がかかり、荷を結わえている紐がぐっと指に食い込んでいく。
 が、サスケは平然とそれを持ち上げて肩にかつぐと、おもむろにドアを開いた。
 「ただいま」
 「おかえりってばよ〜」
 同時に、弾んだ声とてぺてぺ聞き慣れた足音が、勢い良く廊下を駆けて来る。
 見遣った視線の先には、青い瞳を輝かせ、金色の髪をなびかせながら走り寄る少女。
 「ナルト」
 天にも地にもただ一人、この世の何と引き換えにしても惜しくない愛しい妻を、サスケは両手を広げて迎え入れた・・・と思いきや。
 「走んなっ、このウスラトンカチ!」
 突然の罵声に、飛びついて来ようとした姿勢のままで、ナルトはうひゃっと固まった。
 その拍子にバランスを崩して倒れ込みそうになる身体を、荷物を放り出したサスケの腕が慌てて掬い止める。
 「言わんこっちゃねえ。おい、どこも打ってたりしねーだろうな?」
 がっちり受け止めて、物のついでとばかりにナルトを横抱きに抱え上げて問う声音は、ひどく横柄そうに聞こえるが、その面持ちはひどく必死で。
 しかし、いつもの事ながら、言葉の裏を読み取る能力が著しく欠如しているとしか思えない少女は、腕の中から不満そうに見上げて来る。
 「何ともねーけどさあ、今のは、おまえがいきなり怒鳴るから悪いんだろ?!」
 「怒鳴られるような事するからじゃねーか。大体忍者があんな目立つ足音立てるな」
 「そ、それは、今は関係ないってばよっ」
 もう少し足音を押さえる努力をしろと事ある毎に言ってきたのだが、昔から一向に変わらない子供じみた走り方。
 それでも、任務の時はちゃんと静かにしてるもんと言われたら、普段であればため息吐いて黙るしかない。
 何しろ、遡ればアカデミー時代からの長い片思いを経てようやく恋人の位置をゲットし、更に諸々の苦労を乗り越えて、やっとの思いで手に入れた奥さんだ。
 それまでの半端でない長さの助走期間だか潜伏期間だかの反動か、恋人→結婚まではめちゃくちゃ速攻だったという元チームメイトの証言もあったりする。
 ゆえに、少々の事はどうでもいいかと目をつぶる気にもなる(ならざるを得ない)のだが、今現在、正確には数日前から事情は変わった。大幅に。
 「転ぶから走るなって何度言った? つーかおまえも頷いてたろう!」
 「う〜〜〜、で、でも、さっきこけそうになったのはサスケのせいだってば!」
 「言う事聞かないからだろうが。もう一度言うが、こけてからじゃ取り返しつかねーんだぞ?」
 「こけないかもしれないじゃん」
 「てめーは歩いてても時々こけるだろ。まして走ったりなんかしたら、絶対こける」
 きっぱりはっきり断言されて、ナルトはむうっと黙り込む。
 頬をふくらませて、あれこれ反論を探してるようだが、結局見付からないようで。
 「だって、家にいるばっかで何もする事ないから退屈なんだってばよ」
 「・・・あのな」
 拗ねたように唇を尖らせるナルトに、サスケはおそろしく真剣な表情を向けた。
 またお説教かと反射的に身構えるナルトを知ってか知らずか、その口から零れたのは懇願の響き。
 「頼むから、腹に子がいる時くらい大人しくしてろ」
 



 うちは家の現当主は、ナルトに甘い。と言うより弱い。
 アカデミーから恋人時代にかけては知る人ぞ知る事実であったそれは、今や里中知らぬ者なし、というより一般常識にすらなりつつある。 
 当然ながら、その胎内に愛の結晶が宿った事が判明したその日から、これ以上ないくらいの妻大事っぷりを絶賛発揮中だ。
 が、口の悪さは変わらない。むしろ、心配の余りにかえって小言が多くなってしまい、肝心のナルトには今一つ誠意が伝わっていないのだが、それもある意味いつもの事。
 現時点では悪阻も外見の変化も殆どない為、未だナルトには妊婦という自覚が薄いらしい。
 当たり前のように任務を続けようとした所を、サスケ及び周囲の説得(あるいは脅し)によりようやく産休に同意したが、今度は家中走る、飛ぶ、挙句はチャクラで木登りまで始める始末。
 修行はちゃんとしないと身体がなまるからと、忍びの見本のような台詞を平然と宣うナルトに、見張りの為に自分も産休を取るべきかと真剣に考え始めているサスケのため息は、全くもって絶える間がない。
 「そんな神経質になることないってばよ〜。サスケってば、難しく考え過ぎ」
 今日も今日とてそんな心労欠片も知らず、相も変わらずお気楽な奥様に、旦那様の忍耐にも限度ってものがあるわけで。
 「おまえが簡単に考え過ぎなんだ!」
 「だって考えたってしょうがないってば。考えなくたって、1年したら赤ちゃんって自然に腹から出て来るんだろ? 簡単じゃん」
 考えてくれ、頼むから。つーか1年じゃなくて10ヶ月だ。正確に言えば今2ヶ月だから、後8ヶ月だ。大体そんな簡単に赤ん坊が出て来るわけあるか。
 頭を抱えかけて、サスケは、はたと思い当たる。
 いや、案外ナルトの事だ。期間はともかく、ところてんか何かのように、赤ん坊もつるんと出て来てしまうかもしれない。
 ・・・妙に信憑性があるのが恐い。
 (って、オレまで流されかけてどうする!)
 「そ、そんな考え込むなってばよ、サスケ」
 何だか妙にがっくりした様子に、さすがのナルトも心配になったらしい。
 慌てたように片手を伸ばすと、目の前の肩を宥めるようにぽんぽんと叩いた。
 「だーいじょうぶだってばよ。オレってばすげー丈夫だもん。だから赤ちゃんも、絶対元気に生まれて来るに決まってるってば」
 「・・・確かにおまえは丈夫だ。オレより余程丈夫だ。殺しても死なねーくらい丈夫だ」
 「・・・なんか、それはそれでムカつくってば」
 「てめーの方から言い出しといて、勝手に拗ねるな」
 「だってその言い方、アイジョウがまるっきり感じられないってばよ!」
 「んだと、こら。そこまで言うならカラダで確かめさせてやったっていいんだぞ!」
 「うわ、信じらんねーっっっ、その方がよっぽど赤ちゃんによくないってば! オレってばまだ安定期じゃないんだぞ!」
 「安定期でもねーのに、ほけほけ走り回ってるヤツが言うな!・・・とにかく、おまえが丈夫なのは百も承知してるが、赤ん坊までそうとは限らないんだから、気を付けろ」
 「そうなの?」
 「・・・そうだ」
 「そっかー、じゃあ気を付けるってばよ。赤ちゃんに何かあったら大変だもんな」
 「・・・是非そうしてくれ」
 ようやく納得してくれたらしいナルトに、サスケはとりあえずほっと息を吐く。
 とは言っても、どこまで納得してるかなんてまるっきり測れないのがナルトの恐い所。
 結局元の木阿弥なんて可能性もある。てゆーか高い。
 何しろ意外性No.1忍者の座を、未だに誰にも譲る気配のないウスラトンカチの事だから。
 やっぱりアレを買い込んで来てよかった。
 足元に散らばった荷物を見遣って、しみじみそう思うサスケだった。
 
 


 「もー下ろせって言ったのに」
 すったもんだの挙句ようやく辿り着いた居間で、ナルトはぷうっと頬を膨らませる。
 とは言っても、未だサスケの腕の中という状況ではまったく迫力なんてありはしない。
 端から見ればゴチソウサマと、生温い目で評される事請け合いだ。
 結局玄関から居間までずっとこの体勢のままで、自分で歩くから降ろせという抗議は、少なくともこうしてれば絶対に転ぶ心配はないというサスケ的には完璧な理屈で完全無視。
 むくれるナルトを細心の注意を払ってソファーに下ろすと、サスケは玄関に取って返し、放置したままだった荷物を居間に運び込んだ。
 「それ、何だってばよ?」
 ちょっと拗ねモードに入っていたナルトもやっぱり好奇心には勝てず、目の前に積まれた山のような包みをわくわくと見つめている。
 サスケはその中の一つを手に取ると、ナルトに手渡した。
 「おまえへの土産だ」
 「うわめずらしー・・・って、げ」
 喜々として包装を破り始めたナルトだったが、中身が姿を現し始めた途端、顔を顰めてその手が止まった。
 代わりにサスケが包みを開き、次々と取り出していった物、それは。
 「げ、とは何だ。産まれるまでにはきっちり全部読むんだぞ」
 本の山。
 まさしくそう形容するしかない程膨大な数の書物、あるいは雑誌だった。
 しかも、それなりに広いテーブルをほぼ埋め尽すそれらは、全部同じジャンルに括られる。
 『薬師一族の育児指南』と箔押しのタイトルも麗々しい数百頁もあろうかというハードカバーから、『げんきなあかちゃん』なんていわゆるたまひよ系の雑誌まで。
 いわゆるひとつの育児本というやつだ。
 里に現存するあらゆる育児本を集めて来たのではないかと思われる程、その数も種類も尋常じゃない。
 「これを全部読めって?! ぜってー無理!」
 「やってもみないうちから無理なんてぬかすな。それに、簡単に諦めるなんておまえの忍道に反するんじゃないのか?」
 「そ、それを言い出すとは卑怯な・・・」
 「確かに少し量は多いかもしれないけどな。こんなんでも読んでおかないと、オレもおまえも赤ん坊の事なんか全然知らないし、手助けしてくれるような親戚もいねーんだから」
 サスケもナルトも、事情は違えど一人の肉親も持たない同士。
 勿論、頼めば手を貸してくれる(むしろ手ぐすね引いて待っている)友人や恩師には恵まれているけれど。
 それでもやっぱり、お互いにお互いしかいないという事実には変わりない。
 だから、もうすぐ生まれる命に対して出来る限りの事をする為に、二人で努力していかなくてはならないわけで。
 「大丈夫だってば」
 「だからその根拠は・・・」
 なのに、またしてもあっさりと断言するナルトに、さすがに業を煮やしてサスケは反論しようとする。
 が、その言葉が最後まで発せられる事はなかった。
 「難しい事なんか、きっと何にもないってば」
 サスケを見つめて、ふわりと笑うその顔。
 「自分がして欲しかった事を、いっぱいしてあげればいいんだってば。お腹いっぱい食べさせて、寒い思いしないようにして、いっぱいいっぱい抱っこしてあげる」
 まだ殆ど膨らみの見られない腹部を愛おしげにそっと撫でて。
 「それでね、何十回でも何百回でも大好きって言ってあげるんだってば。お父さんとお母さんはおまえが大好きだって。産まれてきてくれてこんなに嬉しいって。きっと、それで充分」
 柔らかでそれでいて強さを感じさせるそれは、まさしく母親の笑みだった。




 ・・・敵わない。
 サスケは、時々どうしようもなくそう思う。
 そそっかしくて考えなしで意地っ張りな単純ドベ。
 ちょっとした事ですぐ拗ねるし怒るし、天気予報より予測ができない気分屋で、めちゃくちゃ手のかかる生き物。
 相変わらずどころかひどくなる一方の気がするウスラトンカチぶりに振り回される日々は、もう一生モノだろうと半分諦めの境地に達しつつあるけれども。
 たまに、本当にごくたまにだけれど、ナルトが何気なく呟く言葉、あるいはごく自然な行動や態度。
 それは、大抵はひどく当たり前でたわいない、だけどサスケには見つけられなかった事ばかりで。
 幼い頃から変わらないまっすぐな瞳が、サスケに与え続けてくれたもの。
 多分、それは真実という名の。
 本当はいつだって、守り導いてくれているのはナルトの方だという事くらい、ずっと昔から知っていた。




 「どうしたってば?」
 訝しげに覗き込んでくる青い瞳。
 黙り込んだままのサスケに、ナルトは心配そうに首を傾げている。
 「オレ、何か変な事言った?」
 「いや」
 サスケはゆっくりと首を振ると、ナルトに向かって手を伸ばした。
 「いつだって、おまえは正しい」
 「サスケ?」
 華奢な身体を引き寄せてソファに腰掛けると、自然ナルトがサスケの膝の上に横座りする形になった。
 戸惑う瞳に軽く笑みを返して、金色の髪に指を絡める。
 流れに沿って緩く梳いていけば、さらりと滑らかな感触が心地良い。
 「どうしたんだってば。なんか、らしくないってばよ?」
 憎まれ口を叩きながらも次第にナルトの身体からはすっかり力が抜け落ちていき、程よい重みがサスケに凭れ掛かって来る。
 嬉しげに擦り寄るその様は、喉を鳴らすネコのよう。
 寛いで、安心し切っている。
 サスケの腕の中で。
 「愛してる」
 不意に降って来た囁きに、ナルトの身体がぴくんと揺れる。
 驚いて見上げる眼差しに視線を合わせて、サスケは言葉を継いだ。
 「おまえが産まれて来てくれて、オレの前に現れてくれて、よかった」
 「ど、ど、ど、どうしたんだってばっ。いきなり!」
 どもるナルトの顔は、驚愕に満ちている。
 正に愕然という感じで、到底、夫に熱烈な告白をされた妻の反応には見えないが。
 無理もない。サスケがここまでストレートに自分の気持ちを表現する事なんて、滅多にないのだから。
 サスケはふっと苦笑して、ナルトの頭をくしゃりと撫ぜた。
 「おまえが、『して欲しかった事』なんだろ?」
 自分がして欲しかった事を赤ん坊にはしてあげたいと、ナルトは言った。
 『してもらって嬉しかった事』ではなく。
 与えられるという事を、何一つ知らずに生きて来たナルト。
 なのに何故、こんなにも惜しみなく他人に与えようとする事が出来るのか、サスケには分からない。
 けれど、この奇跡のような存在に、誰より何より救われて来たのはサスケ自身だから。
 だから、ナルトが欲しい物は全部自分が与える。
 この役目は一生オレの物。誰にも譲る気はない。
 見下ろす真摯な眼差しに、ナルトの顔が泣き笑いのように歪む。
 口を開きかけてまた閉じる動作を何度か繰り返して、どうにか言葉を絞り出した。
 「オレ、赤ちゃんじゃないってばよ」
 「構わないだろ。家族なんだから」
 「家族って・・・」
 「今更違うなんて言うなよ。もうすぐもう一人増えるんだぞ」
 照れ隠しのような素っ気ない声。
 見つめる青い瞳がじんわりと潤んだ。
 けれど、雫は零れ落ちるなく留まったまま、深い海を造り出す。
 「オレとサスケは、家族なんだ?」
 「当たり前だろ」
 ゆっくりとナルトが微笑む。
 いつものお日様のような明るいものではなく、どこまでも静かに沁み入るような、そんな笑みで。
 「あのさあのさ、サスケ」
 「ん?」
 「オレも、サスケに会えてよかったってばよ」
 言いながら、首に腕を回してしがみついてくる細い身体。
 サスケも、腹部を圧迫しないように細心の注意を払いながらゆっくりと抱きしめ返す。
 「ありがとう」
 その言葉を口にしたのは、どちらが先だったのだろう。




 「で、やっぱりこれ、全部読まなきゃいけないわけ?」
 「読まないでどうする」
 育児書の山をとりあえず系統毎に大まかに仕分けながら、サスケはにべもなく言い捨てた。
 確かに基本方針としてはナルトの意見に異論はないが、実際問題として知識があるに越した事はない。
 どこからどう見ても立派な正論に、さすがにナルトも言い返せずぱらぱらと手近の何冊かの頁を繰るが、たちまちげんなりして放り出した。
 「ううう、こんなの全部読んでたら何年かかるか分からないってば・・・」
 「根性で読め。まあ、最低5人は作る予定だし、いざとなりゃそれまでに読み終わるんでもいいが」
 「・・・何か、さりげなくすげー事言ってないか?」
 「イヤか?」
 さらりと返された言葉に、ナルトはぐっと詰まる。
 うーとかあーとか唸りつつ、ちろりと見遣ったサスケの顔は大真面目で真剣そのもの。
 困ったようにしばらく考え込んだ挙句、躊躇いがちに口を開く。
 「・・・おまえがどーしてもってんなら、考えてやるけど」
 「どうしても」
 これまた速攻で返って来た返事は、やっぱりこれ以上ないくらい真剣で。
 やれと言われたら、土下座でも何でもしそう。
 何だか容易く想像できてしまうのがおかしくて、ナルトは堪え切れずに吹き出した。
 「・・・何がおかしい」
 ごくごく真面目に言った台詞をいきなり大笑いされて、さすがにサスケが憮然とした顔をする。
 それがまたおかしくて、ナルトはまたひとしきり笑い転げた。
 笑って笑って、そろそろお腹に障るんじゃないかとサスケが本気で心配し始めた頃。
 「しょうがないってばよ」
 ようやく落ち着いたらしいナルトは、数回深呼吸して息を整えると、にいっと不敵な表情を作った。
 それは、幼い日に、サスケを魅了したあの笑顔。
 



 「頑張ってオレ達の家族増やしてやるから、楽しみにしてろってばよ、サスケ!」
 
 








 21000キリを踏まれた嶺坂智様からリクエスト頂きました。いつもの事ながら、とんでもなく時間がかかってしまいました。嶺坂様すみません。
 ホントは、別のネタで書きかけてたんだけど、N○Kで「まん○ん」見てたら、「妻が妊娠して育児書を買い漁る夫」の話を書きたくてしょうがなくなったのでありました(笑)。
 あまーい話にしたくて、はちみつでシロップなタイトルを付けてみたんだけど、何か履き違えてしまった気も。いや、サスケがナルトにべた惚れってのは間違いないのですが。どうもサスケ、ナルトを珍獣みたく思ってる節がありそうな・・・。
 ちなみにこの話の続きはありません。いわゆるファミリーものは、読むのは大変好きなのですが、自分でオリキャラを作る根性がないのです。書きかけてた別ネタは、そのうち仕上げたいと思いますが。




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