冷たい雨が僕の目の中に降る

 君のこと以外何も見えなくなる




 それは、いいことだろう?










 傘がない










 ノックをしようとして、サスケは手を止めた。
 古いアパートの立て付けの悪いドア。
 見慣れたそれの向こう側に、人の気配はない。
 当てが外れて、サスケは少しばかり途方に暮れる。
 この部屋の住人と定かな約束をしたわけじゃないが、サスケにはひそかな確信があった。
(あいつは、待ってる)
 明らかな留守宅を前にしても、何故かその確信は消えない。
 思案するサスケの耳に、不意に鐘の音が鳴り響いた。
 遠く近く、おそらく里中に響いているだろうそれは、鎮魂の音。
(慰霊祭が始まったのか)
 もしかしてこれに出かけたのだろうかと思いかけて、サスケはすぐにそれを否定した。
 今日は十数年の昔、強大な妖に里が蹂躙された日。
 そしてこの鐘は、死者を悼むと同時に、生者が尽きせぬ恨みを新たにする音だ。
 だからナルトが、それに出ている筈はない。
 待つか帰るか判断に迷って何となくノブを回してみれば、呆気なくドアは開いてサスケは眉を顰めた。
 出かける時に鍵をかけない癖は、まだ直ってないらしい。
 何度注意しても一向に効き目がないため、時折サスケが本気で腹を立てると彼は決まって同じ台詞を吐いた。
『だってサスケやイルカ先生の他に、この辺に近寄るような奴、いねーもの』
 古びてはいるが決して小さくはないアパートにただ一人住まう子供は、そう言って衒いなく笑う。
 だからサスケは、その度に何も言えなくなる。
 ため息を吐いてドアを閉めようとしたその時、奥からけたたましい音がした。





 迷うことなく室内に飛び込むと、サスケはそのまま台所の流しの脇に身を潜めた。
 ナルトの狭いワンルームは、玄関に入ればすぐに部屋中を見渡せる。
 右足のホルダーに油断なく手をやりながら部屋の奥に目をやると、無惨に割られたガラスの破片があちこちに飛び散っていた。
 そして、窓際のベッドの上には、破片とともに転がる掌大の石がひとつ、ふたつ。
 瞬間、サスケは音もなく窓際に移動した。
 慎重に外を覗くと、こそこそと角を曲がりかける男の背中が見える。
 予想していたが、その背中に見覚えはない。
 忍びですらない見知らぬ男に本気の殺意を覚えて、サスケはくないを構えた。
 けれど投げようとした瞬間、咎めるような青い瞳が脳裏に浮かんで手が止まる。
 迷ううちに男の姿は消え、舌打ちをしながらサスケはくないをホルダーに収めた。
 里人達のナルトに対する悪意は根が深い。
 それでも日頃は直接的な行動に出ることは少ないが、今日は別だ。
 あの妖に奪われたもの、もう二度と還ってこないものを偲ぶこの日、押さえられていた憎しみのたがは外れやすくなる。
 せいぜいが子供だましのような嫌がらせに過ぎないけれど、それでもサスケは許せない。
 少し前に半ば脅しに近い勢いで暴いたナルトの秘密。
 知ってしまった今はなおさら怒りが募る。
 サスケからすれば理不尽な言いがかりに近い憎しみを黙って受け止めている、あのお人好しの子供を傷つけるには十分すぎる。
(だから、なのか)
 不意にサスケは納得した。
 だからナルトはここにいない。
 この里のどこかで嵐が通り過ぎるのを待っている。
 たった一人で。
「つっ………」
 不意に手のひらに走った痛みに我に返る。
 知らず窓枠を握りしめていたらしい。
 ガラスの破片でざくりと切った傷は意外に深いらしく、桟にぽたりと血の滴が落ちた。
 軽く血止めをして、サスケは部屋を出た。
 顔に降りかかる水滴に空を見上げれば、いつの間にか灰色の雲間から細かな雨が降り始めていた。
 音もなく降る雨はサスケの髪を、肩を、静かに濡らしていく。
 振り払うように、サスケは外に飛び出した。
 行かなければいけない。
 ナルトはきっと待っている。
 この雨の中、一人で待ってる。
 待っているのは、自分ではないかもしれないけれど。





 ナルトを見つけ出すのはそう難しいことではない。
 彼を知っている者ならば、探すのは容易い。探す気があればの話だが。
 森の奥の演習場か、里を一望する小高い丘の上か、あまり里人が訪れない場所をナルトは好む。
 人が来ないから好むのか、ナルトがよくいる場所だから人が来なくなるのか。
 胸奥に湧き上がる暗い感情から、サスケはあえて目を背けた。
 案の定、最初に向かった丘の上には、雨に濡れながら座り込むオレンジ色の背中。
「あれ、サスケ」
 わざと消さなかった気配にさして驚いた様子もなく、振り向いたナルトが笑う。
「何でこんな所にいるんだってば。今日は里の大事な日じゃん」
 右手を伸ばして、眼下に広がる里を指さす。
 まだ鳴り続けている鐘の音に、耳を澄ますように。
「大事な日だから、ここにいるんだろう」
 言いながらサスケは、ナルトの横に座ってその手を取った。
 冷たい指先。
 朝からここにいたのだろうか。
 鎮魂と怨嗟の念に満ちた里を一人眺めながら。
「今日は、おまえの生まれた日だろう」
 ナルトは驚かなかった。
 ただ、静かな瞳でサスケをみつめる。
 口元に淡く浮かんだままの笑みが苛立たしい。
「大事かなあ」
「当たり前だ」
「だって誰も覚えてない。誰も思い出したくなんかないってばよ。それでも?」
 何気ない口調に、かすかに試すような響き。
 無意識のそれは、サスケに苦い事実を突きつける。
 ナルトはまだ、信じ切れていない。
 言葉で、態度で、何よりもこの心で誓ったサスケの真実を。
「うるせえよ、ウスラトンカチ!」
 衝動的に掴んだ手首を引き寄せると、そのまま地面に引き倒した。
 落ちてくる雨を遮るようにサスケはナルトに覆いかぶさると、唇を寄せた。
 キスが冷たい。
 いくら重ねても唇にぬくもりは戻らない。
 舌を絡めて体内の熱を分け合っても、降りしきる雨に熱はたちまち奪われる。
「オレが覚えてる。おまえがいなければオレは今頃ここにいない。だからオレは絶対に忘れない」
 ナルトの肩に顔を埋めて、サスケは呻くように呟いた。
「おめでとうって、言わせろよ」





 ゆっくりと、ナルトの腕がサスケの背中に回る。
「…………ありがと、サスケ」
 それは確かに応える言葉であったけれど、ひどく空虚な響きに聞こえた。
 冷たい身体。
 それを包むサスケの身体も、また。
 二人の頭上から、さらさらと雨が降りかかる。
 嫌な雨だとサスケは思う。
 静かに、音もなく、冷えた身体から更に体温を奪っていく。
 それはまるで、この里のようだ。
 目に見えず、決して表面に浮かび上がることはないが、決して絶えることのない悪意のようだ。
 生まれた時から傘を持たないナルトは芯まで凍えてしまっていて。
 幼い頃に傘を奪い取られたサスケにも、それを補える程のぬくもりは残っていない。
 こうしていても、二人とも冷え切っていくだけ。
 サスケはそれでも構わない。
 サスケがナルトに求めているのは、ぬくもりを分かち合うことじゃない。
 そもそも何かを求めているわけでもなく、願うのはただ。
(消えるな)
 きかん気で騒々しいウスラトンカチ、バケモノ憑きのうずまきナルトが、いてくれればそれだけで。
 けれど、ナルトは。
「オレだけじゃ、駄目なのか?」
 絞り出すような声に、ナルトは答えなかった。
 答えが返るとも、最初から思っていない。
(ちくしょう)
 どうして勝てない。
 呑気に慰霊祭なんてやっていられるのは誰のおかげなのか、今生きていること自体、誰の犠牲の上に成り立っているのか、考えようともしない奴らをどうしてそんなに恋しがる。
(オレは、おまえだけでいいのに)
 おまえだけがいいのに。
 キン、とこめかみの奥が痛んで、サスケはきつく唇を噛んだ。
 口の中にじわりと広がる鉄の味。
 それはひどく苦かった。
 
 




「サスケ」
 どれくらいそうしていたのか。
 呼ぶ声に、サスケはようやく顔を上げた。
 ナルトは不似合いなくらい穏やかな、そのくせ少し困ったような顔でサスケを見ている。
 そっと伸ばされた手を、サスケは避けなかった。
 冷たい腕に、首筋に、ためらうように触れる指。そして。
 口の端にこびりついた血を拭うように、ほんの一瞬、合わさる唇。
「サスケ、ほっぺたアツイ」
 今度は両手でサスケの頬を包み込みながら、ナルトはふわりと笑った。
「あったかいってば」
 冷えきった全身の中で、そこだけがひどく暖かいのは。
 雨ではない熱い雫がそこを流れていくからだ。
 それは、今も途切れることはなく。
「おまえが来てくれて、嬉しかった。ホントのホントに嬉しかった。だから」
 泣かないで。
 殆ど吐息だけで囁いて、ナルトはサスケの頬を撫でた。
 何度も何度も。
 柔らかく触れてくる指先を、サスケはしばらくの間じっと受け止め、やがて、そっと取って口付ける。
 冷たい指が僅かに体温を取り戻した頃、ナルトはサスケの首に手を回して自分のほうに引き寄せた。
「いつだって、おまえはオレを見つけてくれる。オレの声を聞いてくれる。それだけでいいってば」
 サスケの頭を抱え込むように抱きしめながら、ナルトが呟く。
 サスケはナルトの胸の上で、それをじっと聞いている。
「だいすき」
 嘘じゃない。
 ナルトの言葉に、嘘は存在しない。けれど。
 ……………それが、すべてでもない。
 胸に蟠る憤りも苛立ちも口には出せず、サスケはただ、抱きしめる腕に力を込めた。
 それしか、出来なかった。
 
 







 「サスケにしか、聞こえないんだな」
 ぽつんと呟いた声に、答える言葉をサスケは持たない。 




















 88000キリを取られたK様からのリクエスト「霧雨、涙、サスナル」です。相変わらず遅いです。K様すみません。
 誕生日ネタでもあるし、本当ならもう少し経ってからアップしたかったんですが、5日付でジオが統合するため手続きが色々あって、今日を逃すと更新が面倒くさくなるんです。ごめんなさい。
 お題を頂いた瞬間から、ぜってーサスケを泣かしたる、と心に決めてました。ナルトが泣く話って時々見かけるので、どうせならサスケが泣くとこみてーなーと思って。
 いざって時に愛する者のためにぼろぼろ泣ける男ってかっこいい、と思うのですが。私が書くと単なるヘタレ。
 冒頭の詩とタイトルは井上○水から。また古いよ…。サスケさんが必死こいてる話を書くとテーマソングが懐メロになってしまうのは何故だろう。謎。
 K様、リクエストありがとうございました。 (あゆりん)


 うーむ、なにを書いても総てがサスナルにつながっていくところはさすがです。
 同じような素材を使ってどうしてこうも違うのか。愛があふれてるなー。
 それにしても「傘がない」・・・世界がどうであろうとキョーミナイ。ナルトに会いにいかなくちゃ、って心の狭さがサスケサンにぴったりでステキ。(笑)  (さよ)

 さよのナルト誕生日SS「あきまつり」はシリアス部屋にあります。
(04.10.4)





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