ハイリターン







「こんなところで何してるの」
 彼女の声はさほど大きくはなかったが、喧騒の中でもよく通る。格別の美声でもなければ、特徴的なわけでもない。けれど彼にとっては耳に心地よい声。
「何、とは。カジノでそれは愚問でしょう。プリンセス」
 カーティスは手にしたダーツを無造作に投げながら答えを返した。ダーツは真っ直ぐに的の中央を射抜いたが、既に彼の興味はそこにはない。
 振り返ると、アイリーンが不機嫌そうにカーティスを見ている。一日ぶりの彼女は、妙に新鮮に映った。
「あんたが賭けごとが好きそうに見えないから言ってるのよ。実際、カジノでダーツ三昧なんて不毛なことばっかりしてるじゃないの」
「ごくたまにカードくらいはやりますよ。まあ、仰るとおりではありますが」
 確かにカーティスはカジノに殆ど興味はない。ここ最近来る機会が増えたのは、アイリーンに同行していたからだった。今夜はあいにく違ったが。
 ちろりと部屋の反対側にあるテーブルに目を向ける。こちらに背を向けて何かのゲームに興じているのは、カーティスとも顔見知りの男。アイリーンの婚約者候補の一人だ。
「僕、運試しって嫌いなんですよねえ。そんなことしてたら、今頃とっくに殉職してますよ」
 暗殺者の仕事に運が不要だとは言わないが、ないよりあった方がマシという程度だ。そんなものに頼るようでは到底生き残れない。
 その点、ダーツで物を言うのはあくまでも技量だ。それに多少は鍛錬の真似事になる。
 カードは、ダーツよりは運に左右されるが、心理的な駆け引きで決まる部分も大きい。だから、ルーレットやスロットよりは性に合う。
「要するに、自分の力でどうにかならないことが嫌いってこと?」
「さすがプリンセス。そのとおりです」
「茶化さないで」
 アイリーンはカーティスをきつく睨みつけた。今日のプリンセスはどうにも御機嫌がよろしくない。
 だが、それはむしろカーティスには望むところだ。何故なら、彼も同じ程度には機嫌が悪い。
「言っておくけど、先に今日の同行を断ったのはあんたよ」
「ええ。昼間の砂漠なんて真っ平だって言ったのは確かに僕です。だから、プリンセスがさっさと他の婚約者候補と出かけてしまってもしょうがありません。まったく僕の自業自得です。ええ、全然あなたのせいなんかじゃありませんとも」
「……ふりでもいいから、もう少し心を込めて言ってみなさいよ」
「嫌だなあ。こんなに真心で一杯なのに?」
 殊更にっこりと微笑みかけるカーティスに、アイリーンは嫌そうに眉を顰めた。
「カーティス=ナイルの真心なんて、砂漠の雪と同じでしょ」
 つまり、あり得ない。
「ははっ、お上手ですね。プリンセス」
「そういうところが、誠意がないのよ」
 笑いながら言うと、アイリーンはますますふくれっ面になった。
 彼女の率直な物言いは不思議とカーティスの気分を良くする。他の誰かが同じ事をしたら、一瞬のうちに殺していることだろうが。
「では誠意の証拠に、明日は王宮までお迎えに上がります」
「……は?」
 目を丸くするアイリーンに、カーティスは滔々と続けた。
「砂漠でもオアシスでも洞窟でもお付き合いしますよ。カジノでも、斡旋所でも何処へでも。あいにく酒場は昼間は開いてませんが、ご希望なら穴場へご案内しましょう」
「……いくら何でも洞窟はまだ無理よ。というか、同行者の選択権は私にある筈なんだけど」
「ですから、誠意とお詫びです。何でしたら取引が終わるまで有効でも構いません」
「それは遠慮するわ」
 とうとう根負けしたのか、アイリーンは呆れたように首を振った。いかにもしょうがないと言いたげな笑みを浮かべて、カーティスを見る。
「ねえ、カーティス。まさかそれを言うためにわざわざ待ち伏せてたの?」
「待ち伏せとは人聞きの悪い。あなたにお会い出来たらいいなと思ってただけです」
「私がカジノに来るとは限らないじゃない。それこそあんたの嫌いな『賭け』だわ」
「あなた相手に賭けごとなんかしませんよ。……でも、そうですねえ。だとしたら、勝たせてくださいます?」
 問いかけると、アイリーンは黙り込んだ。小首を傾げているのは、思案しているのだろうか。
 考えることはないのに、とカーティスは思う。昨日までみたいに、さっさと自分を選べばいい。
「……あ」
 不意に、アイリーンを呼ぶ声がした。
 今日彼女に同行した男、カーティス以外の婚約者候補が、少し離れた場所から剣呑な視線を向けている。
 カーティスは真っ向からその視線を受け止めた。たかが一日同行したくらいで、我が物顔で彼女を呼ぶなんて許せない。
 殺そうかと思ったが、今はやめておくことにした。あんな男ごときでアイリーンの不興を買うのはつまらない。
「プリンセスを放って遊んでたくせに、図々しい人ですね」
「あんただって人のことは言えないでしょ。……じゃあ、もう行くわね」 
 ほんの少しためらいを見せて、アイリーンは向こうへ歩き出した。と思いきや、不意に踵を返すとカーティスの目の前に立った。殆ど触れ合いそうな距離から見上げてくる。
 こんなに無防備に彼の間合いに入ってくる人間は、今までいなかった。きっとこれからもいない。
 いたら殺すだろうと、カーティスは思う。彼女でなければ、すべて。
「明日、朝早いから。少しでも遅れたらおいていくわよ」
 早口に囁くと、アイリーンは悪戯っぽく笑った。
「今回は勝たせてあげる。でも、次はないわ」
 そう言って今度こそ身を翻すと、。アイリーンは真っ直ぐに歩いて行った。彼女を待つ別の男の元へと。
 その後姿を見送りながら、カーティスはつと目を細める。
「……次はない、ですか。確かに」

 あなたにはね、プリンセス。

 低い低い呟きは、喧騒の中に紛れて消えた。
 







「眠ってしまいましたか?」
 満足そうにそう言うと、カーティスは横たわるアイリーンの髪に口づけた。艶やかな黒髪を、ずっと触ってみたかった。
 実際に触ったことはもちろんある。したい時にしたいことをするのが、カーティスの流儀だ。
 だけどその時は、すぐに振り払われてしまって物足りなかった。頬を染める彼女を見られたのは、それなりに収穫ではあったが。
 やっと手にしたじっくり触れる機会をしばらく堪能していたが、アイリーンは瞳を堅く閉ざしたまま、一向に目覚める気配はない。
 起こそうとして、すぐにやめた。疲れ切って眠っているのを起こすのは少し可哀想だ。もっとも、そんなことを思うのは彼女限定ではあるが。
 加減がきかなかったかな、とカーティスは考えた。
 だとしても仕方ない。やっと彼女がここまで来てくれたのだから。
 この、自分の手の中に。
 カーティスは、そっとアイリーンの頬に触れた。
 滑らかな頬はほんのりと赤く、熱を持っている。大方は先刻までの行為のせいだろうが、幾分はその前の酒が残っているせいかもしれない。
「人の言うことは素直に聞くものですよ。あなた相手に賭けなんかしないって、僕、前に言いましたよね」
 からかうような物言いにも、アイリーンはぴくりとも反応しなかった。相当眠りが深いのだろう。
 残念だ、とカーティスは思う。起きていたなら、そんな何日も前に言われたことなんかいちいち覚えてられないと、目を吊り上げて反論してくれただろうに。
 今みたいに全てを委ねてくれるのも悪くないが、強気に言い返してくる彼女はもっと好きだ。
 だけど、あの夜カジノで出会ったことを、一か八かの賭けだったと本気で思っていたとしたら、やっぱりプリンセスは存外甘い。
 国王との取引が開始されてから今まで、彼女と一番一緒にいたのはカーティスだ。それは自惚れでも何でもない、単なる事実。
 だからアイリーンがその頃、思うようにお金が貯まらないことに焦っていたことを知っていた。そして、ルーレットでいい目が出るようになったとご機嫌だったことも。
「だったら、賭けるまでもなく答えはひとつしかないですよね。……今夜だって、同じだ」

『いいじゃない。ちょっとだけ飲ませてよ』 
『どうなったって知りませんよ』
『送り狼にでもなるつもり?』
『……そのつもりです』

 負けず嫌いで天邪鬼で好奇心の強い、プリンセス・アイリーン。
 見てなさい、と挑むような彼女の眼差しは、とても綺麗だった。
 分が悪いどころか、賭けですらないことに気付きもしないで。

 いつも隣で同じ酒を飲んでれば、彼女が興味を示すのは分かりきっていた。
 止められれば止められるほど依怙地になる、可愛らしい性質も知っていた。
 それが、およそ人間が飲めるうちで一番アルコール度数の高い酒だったなんて、訊かれなかったから言わなかっただけのこと。
 ……カーティスは賭けが嫌いだ。自分の運命を自分以外のものに委ねるなんて、ぞっとする。ましてそれが彼女のことなら尚更。
 失敗は許されない。否、絶対に失敗したくない。だとしたら、必要なのは。
「賭けなんかじゃないんです。僕のプリンセス」
 ゆっくりとカーティスは口の端を吊り上げる。どこまでも穏やかな、けれど底知れぬ歓喜を湛えた笑みで、愛しい獲物を見下ろした。
 

 
「罠、なんですよ」

 
















 祝・PS移植。とゆーことで、突発的に書き散らしてみました。PSだとアレやコレな会話はどうなるのだろうと微妙に不安ですが、追加シナリオあるのは嬉しい。
 夏が楽しみだ。……が、その前にPS2買わなくちゃ(苦笑)

(07.05.03)


戻る