あの時、ナルトが振り返らなければ。その顔を見て、不意に思いが込み上げなければ。
 あんなことばなど、口をつきはしなかったのに。
 


 

 どれだけ内心忸怩たる思いを抱えようとも、それが表面に表れない自分の性分はある意味幸運なのかも知れないと、サスケは思う。例え、それ以外の運というものが、最悪だったとしても。
 目の前には、山と積まれた輪切りの大根。サスケは、またひとつ左の山から大根を取り、包丁を入れた。明日この社で行われるという、縁日で振舞うおでんの下ごしらえが、今日の任務だった。隣ではナルトが大根をひたすら輪切りにし、そのまた隣ではサクラがこんにゃくを切って隠し包丁を入れている。
 精神状態はすこぶる悪いけれども、任務をこなすにはそれほどの支障はない。と言うよりは、支障を来す程の任務でもない。皮を剥いて面取りと隠し包丁を入れるくらいの作業には、精神状態の良し悪しなど反映されようもない。単純作業は却って余計なことを考えずに済んで、そういう意味では気が楽だ。ただ、隣にいるのがナルトでなければ、だけれども。
「…おい、ウスラトンカチ」
「………なんだってば」
「てめーは、真直ぐにも切れねーのかよ」
 手にとった輪切りの大根は、余りに端と端の高さが違っている。そしてその周辺にあった輪切りたちも、似たり寄ったりの形に切られていた。
「う うるせーってばよ」
「あーあー、ほんとだ。あんた、それじゃあ真直ぐには切れないはずだわ」
 傍らで、ナルトの手許を覗き込んだサクラが、呆れたように口を挟んできた。
「包丁はね、握るだけじゃなくて、人指し指添えるの。で、左手は掴むんじゃなくて、こう」
 手ずから教えるサクラにぎこちなく倣いながら切ったナルトの大根は、少しは傾斜がましにはなっている。サスケは、もう口を出さずに、自分の仕事に戻った。
 いつもなら、ナルトにウスラトンカチと言えば、今の二、三倍の勢いで言い返されていたのだ。それが勢いを失って、もう一週間程になろうとしている。サスケが鬱屈したものを溜め込んでいるのも一週間で、すなわちそれはあの日の帰り道から一週間経ったと言うことと同義でもあった。
 あの時、ナルトは確かに笑ったように見えたのだ。すぐに走り去ってしまう前、顔を真っ赤に染め上げながら。けれども、まぶたに焼き付いているそれだって、今のサスケは疑わずにはおれないでいた。なぜなら、今目の前にいるナルトがこんな調子だからだ。だから、あれは目の錯覚か何かで、情けなくも自分の願望だとか、そんなようなものが見せたものだったのかも知れないと、思ったりもしてしまう。
「そうそう。切りやすいでしょ、その方が」
「ほんとだってば。ありがとだってばよ、サクラちゃん」
 そうして、サスケの目の前の山には、もう少し整った輪切りがまた積まれていく。形が整えば、隣で作業をしているのがナルトだと気付かされずに済むかも知れない。ぎこちなく不揃いな輪切りは、料理もろくにしないであろう、下手をしたら包丁すら握ったことがあるかも怪しい、希有な育ちのナルトを、すぐに連想させるのだ。そしてその連想は、単純作業に没頭しようとするサスケの邪魔をする。
 だって、ナルトはサスケのことばに答えていないのだ。あんな顔をして、何も言わずに走り去って、そして翌日からサスケに対する笑顔を消して、突っかかってくることすらやめてしまって。それが答だなんて、サスケは認める気はなかった。ナルトがそうすることが答だと思っていようとも、それを受け止めることは出来ない。そんな答え方はとても手前勝手で一方的だと、サスケは思う。
 何よりも、この状態で任務や互いの関係が続いていくと思うとぞっとしなかった。高々一週間、ろくに口を聞かず、聞いても大した反応を返されず、それだけで悪化した精神状態は、きっと留まることを知らない。この、半端な、イエスでもノーでもない関係性のままでは、悪化を極めつつある精神状態のせいでいつか取り返しのつかないことになりそうで、サスケは包丁をいれ終えた大根を、やや手荒に傍らの大鍋に落とし込む。そこには、さらして灰汁を抜くために水が張ってあって、すでにサスケに包丁を入れられた大根たちが数多浮かんでいた。
 これ以上、昏いものが自分の心に溜まる前に、はっきりさせなければならない。サスケはそっと、隣の金髪頭へ視線を動かす。

 だから、ナルト。
 
 ちらりとこちらを向きかけた青い目は、サスケの目とぶつかる前に、たじろいだみたいにそっぽを向いた。ぱたりと、サスケの手許から、剥き終えた大根の皮が、耐え切れでもしないみたいに、落ちた。
 
 
 

  カカシはいつも通り、里の入り口まで戻ってきたところで解散を告げて、音もなく消えた。サクラと別れるいつもの別れ道も、もうすぐそこだ。口数の極端に少ない、気鬱なふたりだけの帰り道が、そこから始まる。
「それじゃあね、サスケくん、ナルト」
「サクラちゃん、バイバイだってばよ!」
「…じゃあな」
 手を振るサクラに手を振り返しているナルトは、振り返ればきっとまたぎこちない表情をしているのだろう。そんな想像は、サスケを一層不愉快にさせた。
 サクラの後ろ姿が小さくなっていく。ナルトは振り向かない。振り向かなければ帰れないのに、今にも見えなくなりそうなサクラの背中の方をばかり、見ている。
 そのままナルトを置いて帰ることは出来ないので、サスケはじっと待つ。一週間前までは、平気で先に歩き出していたことが胸に引っ掛かる。あの頃はまだ、不遜にもこのドベが、後ろからきちんとついて来るであろうことを疑わなかったのだ。
 けれど今は違う。今先に歩き出してしまったら、もしかしたらもうナルトはついて来ないかも知れない。サスケが離れた時点で、離れた分の距離は埋められることなく、そこに在り続けるようになってしまうかも知れない。そんな、得体も出所も知れないような、漠然とした恐怖が、今、サスケの裡にある。
 今日までは、離れていくかも知れないその距離が嫌だと思っていた。けれども今は、それよりも静かに少しずつ空けられつつある距離に恐怖している。それだったら、一気にはっきりとこの遠さを見せつけられる方が、今はどんなにかいいだろうと思う。
 もう、こんなわけのわからない距離感には堪えられないのだ。すぐに後悔しようとも、今はナルトとの関係をはっきりさせたかった。
 ナルトの背中が長い息を吐いて、それからゆるりと振り返った。繁華街の灯はまだ遠く、夕暮れから夜に差し掛かった辺りは、表情を読むには少し難しいぐらいに薄暗い。それにナルトの顔は、微妙にサスケから反らされていてよく見えなかった。
 歩き出したナルトが自分より少し前に出たところで、サスケも歩き出す。後ろからの方が、物理的にだって距離を縮めやすいだろうと思ったのだけれど、サスケの足は怖じ気付いたみたいにゆっくり動いて、ナルトとの距離を一定に保つ。今更になって言うことを聞かないその足に、サスケは舌打ちをした。確かめると、決めたのに。
「………サスケってばさぁ」
 不意に、前から声がした。自然と下がっていた目線をあげると、様子を伺うみたいにちらりとナルトが後ろを向いた。すぐに、前を向いてしまったけれども。
「なんだ」
「…リョーリ、できんだってば?」
「…てめーで、食うもんぐらいはな」
 今日の任務のことかと、続いたことばで察する。
「サクラちゃんが、お前のことすごいって言ってたんだってばよ。確かにめんどくさそうだったけどさぁ、そんなにすげぇもんなの」
 今日は、よく喋る。けれども、その声音がやっぱりどこか上滑りしているように思えるのは、サスケの胸に鬱積しているもののせいだろうか。
「…てめ−がやってたことに、比べたらな」
「俺はリョーリなんてしねーもの。包丁だってにぎったの初めてだしさー」
 顔を向けないまま、ナルトはニシシ、と声をたてて笑った。
「……ウスラトンカチ」
 ああ、癪だ。
 久しぶりに、目の前でナルトが笑っているのに。笑い声が、本当に笑っているように聞こえない。
 前を歩く、背中が止まる。

 −ナルト。
 心の中で名前を呼ぶと、お前はいつだって振り向くから。

 そうして、振り返ったその顔は、やっぱり薄暗くて表情が読めない。サスケの胸に昏い火が点った。
 距離を縮めない足の代わりに手を伸ばして、サスケは目の前で揺れる腕を捕まえた。
「…サスケ?」
 掴んだ腕を、力一杯引き寄せた。そうすることでナルトに無理矢理こちらを向かせると、虚を突かれたみたいな目とぶつかった。
「わ…!」
 そのまま懐に入り込んで、足を払ってしまえば、いとも容易くナルトは道端の草むらに倒れ込んだ。そうしむけたサスケに組み敷かれる形で。
「ってー…!って、サス…」
 驚いて見開かれたその目は、確かに淡い青色のはずなのに、もっと暗い色に見える。きっと、その目に映っているのが、闇みたいな色を纏う自分だからだろうと、サスケは自嘲気味に思った。息がかかるくらいの距離では、もうお互いしか目に映らない。
「な…に、すんだ、どけってばよ…」
 困惑して泳ぎ出す目も気に食わない。他のものが間に入れないくらいに近付いているのに、サスケを見ようとしない、目。サスケは、ふん、と鼻で嘲笑った。
「逃げたきゃ、逃げろよ」
 ナルトに覆いかぶさっているサスケは、けれどもナルトの手を戒めているわけでも、膝を体に乗り上げているわけでもない。ナルトの頭の両脇で地面に手をついて、膝だって少し湿った草の上だ。本気で嫌なら、ナルトがいくらでも逃げられるようなやり方で、サスケはナルトを囲っている。
 そう、本気で嫌ならば、ここからだって逃げ出してしまえばいい。本当に嫌なら、そんな顔をするぐらいなら、目の前から消えてしまえば。投げ出されたままのナルトの手足は、自由なのだ。サスケを殴ったって蹴ったって、そういう隙ぐらい作ってやっているのだから。
 でなければ、サスケの理性にだって限界がある。期待だって、してしまう。
 違うなら、期待をさせるな。無理に笑うな。本当のお前を全て見せて、どこへでも行ってしまえばいい。
「サ、スケ…」
 世界で一番近付いて、ナルトの視界に無理矢理入り込んで。抱きしめもしないまま、唇だけ重ねた。
 ー畜生。
「……なんでだ」
 受ける覚悟をしていたナルトの反撃はなにもなく、代わりに、少し震える、温かくて柔らかい感触だけが残って、サスケは一層苛立つ。サスケの下で、ナルトは、らしくもなく泣き出しそうな、不安に満ち満ちた顔をしていた。
「嫌なんだろう」
 胸が、苦い。
「だから、お前は俺を」
 避けて。
「………どうして、逃げねーんだ」
 抱きしめてしまいたくなる。
 泣き出しそうなナルトの顔は、見ているだけでも辛く思えて、今度はサスケが視線を反らした。ナルトの小さな鎖骨に、額当てがぶつかった。
「…………わかんねーんだってば」
 触れた鎖骨が、僅かに振動した。ナルトの声を聞いても、サスケは顔を上げられない。
「俺、何ができるってばよ…?お前に、」
「別に、なにかして欲しいなんざ、思っちゃいねーよ」
 ただ。
「嫌なら嫌だと、はっきりさせて欲しいだけだ」
 だから、逃げ道だって作ったのに。これで逃げられたなら、諦めもつくだろうかと、思ったのに。
「…違うってば」
 サスケの肩に、温かいものが触れた。おずおずと乗せられたそれは、ナルトのてのひらだった。
「俺、だって、サスケにやれるもんも、できることもねーし、…それに、どうしたらいいのかわかんなくて、」
「……なにを、」
 言っている、と言おうとした口より先に、ナルトがことばを接ぐ。
「嬉しかった、んだけど、やっぱりどうしたらいいのかわかんねーし…。好きなんて、」
 ナルトは苦しそうに、息をついだ。
「言われるの、初めてだし…」
 小さくなりゆくまま、ナルトの声は沈黙に変わった。サスケはようよう顔を上げたのだけれど、いつの間にか辺りは真っ暗で、もうその表情を確かめることはできなくなっていた。
「…ナルト」
「だれかを、こんなふうに思うのだって、初めてだし…だから、俺、わかんねーんだってば…どうしたら、いいか」
 ただ、その目だけは、少ない光源を映し込んで、光を揺らしていた。
「…そんなの、俺だって知らねーよ」
 口を開けば、呆然とそんなことばが零れた。ナルトのことばは足りなすぎて、これでは不足分を自分の都合のいいように解釈してしまう。けれども、それで、いいのだろうか。再三示した逃げ道は、一度も使われようとしない。ナルトはもう、嫌がる素振りをすら見せない。
「だけど、…お前が好きだ」
 肩に乗せられた手が握られて、サスケの服を掴む。ナルトの顔に、果たして七日前に見たのと同じ笑顔が浮かんだかどうかは、確かめられない。
「俺も…サスケが好きだ」
 けれども、少し震える声が耳に届いて。鬱屈が氷解して、嘲笑が解けて、昏い思いは霧散した。
「返事が遅ぇんだよ、ドベ」
 いつもみたいに小突く代わりに、サスケはナルトを抱きしめた。今度こそ、間を置かずに応えてくるナルトの腕は、まるで生まれたての赤ん坊みたいに強く、しがみついてくる。ぎこちないそれに歪な大根を思い出して、サスケは少し感傷的な気分にもなったけれど、今はナルトを抱き締める腕に、力を込めた。
 



 「楽園恐怖症」の蘭様からの頂き物です。こちらのお互い意識し合っててもどかしいサスナルが大好きで、思い切ってリンクを貼らせて頂いた所、こんな素敵なお話を頂いてしまいました。
 図々しくも「勢いでナルトに告白してみたものの曖昧な態度を取られて気まずかったり余裕なかったりするサスケ」というお題でお願いしたのですが、ほんと理想どおりで。相手の気持ちどころか自分の気持ちにすら戸惑って素直になれない二人が、とってもツボでした。なんかもう、新年早々今年の運を全部使っちゃったような気分です。
 蘭様、ありがとうございました。


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