雨が降る。
 星が見えない。
 川を渡れない。



 あのひとに、あえない。










 かささぎの橋










 「こりゃ明日は多分雨だな。ひどいようだったら休みにするから」
 解散直前に告げられた言葉に空を見上げる。
 どんよりと今にも泣き出しそうな曇り空は、ひたすらに暗い灰色。
 ナルトは、漏れそうになったため息をどうにか押し殺しす。
 (そしたら、会えないのかな)
 空の上の恋人達は。
 
 





 「何でおまえ、こんな所にいるんだってば」
 玄関先で、ナルトは呆れたように声を上げた。
 カカシの予告どおり翌日はひどい雨で、任務は休みになった。
 通常ならば雨天決行の忍者に休みを取らせるくらいだから、もちろん半端な雨じゃない。
 バケツをひっくり返したような、とはこんなのを言うのだろう。というか台風に近い。
 叩き付けるような雨がひっきりなしに窓を打ち、うっかり開けて外を見るのも躊躇われる。
 もっとも開けたところで、この豪雨で視界は殆どきかない。
 夜までには上がればいいなあと思っていたけれど結局それは叶わずに、空の上にある筈の星の海は、大粒の雨と分厚い雲の向こうに隠れたまま。
 ますます勢いを増してくるようですらある雨音を聞きながら、ナルトは改めて玄関先を見遣った。
 「なのに、なんでウチなんかに来てんだってばよ、サスケ」
 「・・・・悪かったな」
 ぶすっと不貞腐れたようにサスケが呟いた。
 その全身はまさに濡れ鼠と呼ぶに相応しく、髪からも服からもぽたぽたと雫が流れ、玄関先に水たまりを作っている。
 水も滴るいいオトコなんて、サスケに憧れている少女達だったら思うかも知れないけれど。
 彼に思いを寄せているというか寄せ合っているのは間違いないが、夢見る少女ではないナルトにとっては、こんな天気に出歩くなんてと呆れ半分、このままじゃ風邪を引くと心配半分。
 「とにかくタオル持ってくるからじっとしてろってば。すぐ風呂の準備もするから」
 「ああ」
 さすがにサスケもこのままじゃまずいと思っているらしく、大人しく返事をしてその場に立っている。
 ぱたぱたと風呂場に走りながら、ナルトはそう言えばさっきの質問に答えてもらっていない事を思い出した。
 「そんで、何の用事でわざわざ来たんだってばよ?」
 「・・・・七夕、だから」
 「は?」
 かなり間をおいたサスケの返事に、ナルトは目を丸くした。




 
 7月7日。
 その日が、天に住むという引き裂かれた恋人達が一年に一度出会える日だということは、ナルトも知っている。
 何故だか分からないが、笹に短冊をかけて願い事をすれば叶うと言われる日であることも。
 つい昨日も、笹を切ってあちこちに届ける任務をこなしたばかりだ。
 家で飾ると言って枝振りのいいものを選り分けるサクラに、カカシが職権乱用だねえと苦笑しつつ、ナルトにも小さいのを一本勧めてくれたのだけれど。
 ナルトはそれを断った。 
 カカシもサクラも少し意外そうな顔をしていたけれど、それ以上無理に勧めることもなかった。
 その間サスケは無言のままで、まあこんな行事に関心のある奴には見えないから、と納得していたのだけれど。
 (ひょっとして、あれは単なる照れ隠しで、本当は七夕したくてしょうがなかったんだってば?)
 びしょ濡れになってまで、訪ねて来る程に?
 ・・・・それも何か違うかも。
 このままでは風邪を引くからとひとまずサスケを風呂場に押し込んで、着替えを用意しながら、ナルトは首を傾げる。
 ナルトの部屋には笹も短冊もないし、サスケがそれを持ってきたような様子もない。
 大体この雨じゃ、彦星も天の川を渡れやしない。
 1m先もおぼつかないような豪雨が叩く窓の外を見ていると、風呂場の戸が開いた。
 「何うかない顔してんだ」
 「何でもないってばよ。あ、わりい。着替えこれな」
 タオル一枚巻いただけの姿で上がってきたサスケに、ナルトは慌てて着替えを渡す。
 ナルトにはかなり大きめのそのパジャマは、サスケが泊まりに来た時の定番だ。
 自分は袖や裾を折らなければぶかぶかのそれをそのまま着ているサスケに、ちょっぴり悔しかったりするけれど。
 着替え終わってベッドに凭れるように床に座ったサスケの隣に、ナルトも座り込んだ。
 肩と肩が触れ合う距離。
 風呂上がりのサスケの身体はほんのり暖かくて、ナルトは安心するようなふわふわした気持ちに包まれる。
 正直、今の時期だと少し暑かったりもするのだが、離れたいとは思わない。
 「で、何で七夕だからオレんとこに来るわけ?」
 「来ちゃいけなかったか?」
 「そーゆーわけじゃないけど」
 ナルトとサスケが恋人と呼ばれる関係になってから、そこそこの月日が経っている。
 お互いの家に行き来する事もとっくに日常になっていて、だからこそ、こんな大雨の日にそんな理由を付けてまで来なきゃ行けない理由が見付からない。
 色々考えて、思いついたことはひとつだけ。
 「・・・・やっぱ、昨日のことのせい?」
 無言で、けれど肩をぴくりと揺らしたサスケに、ああやっぱりとナルトは思った。





 『笹はいらないってばよ。オレってば願い事なんかしねーもん』
 お祭り騒ぎが大好きで、いつもなら率先してやりたがる筈のナルトがそんな事を言ったなら。
 (やっぱ、欲しかったのに遠慮してると思われたんだろうな)
 そんな事しなくたって願いは自分で叶えるんだってばと、フォローはしたつもりだったのだけれど。
 カカシやサクラも、何変な遠慮してるんだとも言いたげな、複雑そうな顔をしていた。
 普段さんざんがさつだの脳天気だの言われるナルトが見せる逡巡。
 それは頻繁にあるわけではないが、見逃せる程頻度が少ないわけでもない。
 けれど、彼らは気付いていても何も言わなかった。
 その気遣いは嬉しいし、感謝もしている。
 だけどサスケは。
 その時は気付かない振りをして、そのくせ決して目を逸らさずに、時には無遠慮なほどに踏み込んで来ようとする。
 ムカつく事もあるけれど、多分それでも。
 気遣われるより、もっとずっと嬉しい。
 知りたいと、触れたいと思ってくれることが、とても嬉しい。
 「でもさ、オレ、本当に七夕だからって願い事としたいわけじゃないんだってばよ?」
 「そんなの分かってる。無理に我慢してる顔じゃなかったからな」
 「じゃあ、何で?」
 首を傾げるナルトに、サスケはふと口を噤んだ。
 やがて、考え考えゆっくりと口を開く。
 「昨日、カカシが今日は雨かも知れないつったろう。その時おまえ・・・・」
 言葉を探すように束の間目線を下に落とし、唇を噛む。
 つられて覗き込めば、黒い瞳が殆ど睨むような強さで見つめていて。
 「サスケ?」 
 思わず後ずさりかけたナルトの手首を、サスケが掴んだ。
 そのまま強い力で引き寄せられて、サスケの腕の中に転がり込む。
 「何であんな悲しそうな顔するんだよ。似合わねーんだよ、ウスラトンカチ」
 抱きしめるというより羽交い締めにでもしているかのように、サスケはナルトを強く抱き込むと、小さな肩に顔を埋めた。
 ドライヤーが好きでないサスケは、タオルだけで髪を乾かす癖がある。
 湿り気を帯びたままの黒髪が頬にかかってきて、ナルトはその冷たさに軽く身を震わせた。
 それをどう取ったのか、抱き込む力がますます強くなった。
 「やっぱり今日は大雨だし、任務は中止になるし、だからオレは」
 珍しくもサスケの言ってることは支離滅裂で、おまけによく考えると散々なことを言われてるようでもあるし、いつもであれば拗ねる所なのかもしれないが。
 ナルトはサスケの腕の中で身じろぎもせず、ただ次の言葉を待っている。
 「今日、会わなきゃいけないと思った。会いたいから来た。・・・それじゃ理由にならないか」
 ふうっと耳元でため息を吐く気配。
 ナルトは、自分を背後から抱きしめる腕にそっと手をかける。
 それが合図だったかのように腕の力が緩み、ナルトはもぞもぞとサスケに向き直った。
 どこか迷子の子供のような顔をしたサスケの頬に、そっと片手で触れる。
 一瞬間をおいてその手に少しだけ大きな掌が重なって、見つめてくる黒い瞳に小さく笑って見せた。
 ゆっくりと近付いてくる吐息に、ナルトはそっと目を閉じた。





 ナルトが七夕という行事を知ったのは、アカデミーに入った年の夏だった。
 アカデミー生は、卒業したらすぐ即戦力となることを義務付けられており、そのためには忍者としての能力を磨く以外にも社会的経験がある程度は必要だ。
 よって、Dランクよりも更に落ちるくらいの些細な、任務というより町内清掃や廃品回収といった奉仕活動的な演習が、カリキュラムに入っている。
 その夏、ナルト達のクラスに割り当てられたのは、とある施設で七夕飾りをつくること。
 この時初めて、ナルトは最近里のあちこちに、ヘンな紙がたくさんぶら下げられた笹が飾られている訳を知った。
 その後、クラスでも笹が飾られ、皆、思い思いに願い事を書いて吊るしていたのだけれど。
 ナルトは、書かなかった。
 その時だけじゃない。結局今まで、一度も書いたことがない。
 もちろんナルトにも願いはある。
 叶えたい気持ちは、むしろ他の誰より強いと思う。
 だけど。
 火影になって、みんなに認められたい。
 それは、そんなあやふやなモノに願ってはいけない望み、歯を食いしばって、自分の足で一歩一歩近付いていかなければいけない夢だ。
 だから、カナエテクダサイなんて簡単に願う事は出来ない。
 そしてもうひとつ、誰にも言ったことのない秘かな望みは。
 ・・・・もう叶ってるから、願う必要はない。
 十分過ぎる程に叶ってしまったから、これ以上は願えない。
 『明日は雨だな』
 だからあの時、カカシの言葉に泣きたいような気持ちになったのは、そしたら今年、あの人達は会えないんだなと思ったからだ。
 一年にただ一度しか会えない大好きな人と、会うことが出来ない。
 そう思ったら、たまらなくなった。
 多分、少し前だったら、そんなことは思わなかっただろう。
 一年に一度でも、二年に一度でも、会えるんだったら、会いたいと思える人がいるんならいいんじゃない?
 それだけでも、ずっと幸せ。・・・・オレよりは。
 会いたいと思う人も、思ってくれる人もいないオレよりは。
 きっと、そう思ってた。
 好きな人と会えないことがどれ程悲しいか、どれ程酷い罰なのか、その頃は想像すら出来なかった。
 でも、今は分かる。
 叶わないだろうと思っていた願いが叶った今は。





 「ナルト」
 熱の篭る瞳で、サスケはナルトを見つめている。
 荒い息の中、ナルトはサスケの背中に腕を回す。
 力の入らない腕で懸命にしがみつくと、痛いくらいに抱きしめられた。
 求めていたぬくもり。
 求めてくれる、存在。





 一時も離れたくないほど好きな人が出来て。
 離れたくないと思ってくれる人が出来て、初めて。
 (カワイソウ)
 会えるかどうかもあやふやな、束の間の逢瀬を待ち続ける空の上の恋人達を、そう思う。
 だけど、その変化ががいいことなのか、ナルトには分からない。
 (だって、同じになっちゃうかもしれない)
 大好きな人を遠くで想うしか出来ない日が。
 もしかしたら、それすら許されなくなる日が。
 来ないかもしれない。・・・・けれど、来るかもしれない。
 実際に存在したわけでもない彼らと自分達を重ね合わせるなんて、馬鹿げてるとは分かっているけれど。
 七夕が近づくにつれ、サスケと過ごすようになってからずっと抱え続けていた不安が、表面に浮かび上がってくるのを押さえきれなくなった。
 そして今日、夜空は分厚い黒雲と激しい雨に覆われて、星どころか地上の視界さえもままならず。
 やっぱり、とナルトは思った。
 晴れれば会える。
 雨が降れば会えない。
 絶対に。
 どれ程願ってもどうしようもないことが、やはりあるのだと。
 認めたくなかった悲しいことを、納得してしまいそうになった。
 だけど。
 (サスケは来てくれた)
 雨の七夕に、びしょ濡れになりながら。
 口が悪くて不器用で愛想ひとつなくて、普段は必要な事すらろくに言ってくれないのに。
 (何で、サスケには分かるんだろう)
 どうして、分かってくれるんだろう。
 

 


 夜半を過ぎても雨は止まない。
 窓の外の滝のような轟音に、かえって室内の静寂が耳に沁みるようだ。
 ナルトが目を開けると、すぐ傍にサスケの顔があった。
 最初の頃はどうにも気恥ずかしくて、ベッドから落ちそうな程端に寄って寝ていたこともある。
 そのうち業を煮やしたサスケがしっかりとナルトの身体を抱き込んだまま眠るようになり、否応なく慣れてしまったけれど。
 目を閉じたサスケの顔は、整いすぎてまるで造り物のようだ。
 触れてみたい衝動に駆られたけれど、何となく躊躇われて。
 代わりに。
 「サスケ」
 殆ど声にならない吐息のような呼びかけ。
 それでも黒い瞳がぱちりと開いた。
 伸びてきた手がゆっくりとナルトの髪を梳く。
 「眠れないのか?」
 「うん、・・・・ううん、ゴメン。起こして」
 「寝てたわけじゃないから、気にすんな」
 ゆるやかに髪に触れてくる手に、ナルトは目を細める。
 時々、何でだろうと思うくらい、サスケは優しい。
 「サスケってさ、ひょっとしてすげー奴?」
 「何だそりゃ」
 「だってこんなどしゃぶりの中来るなんて、ヒコボシよりすごくねえ?」
 「雨くらいで怖気づくような、しかも一年に一度しか会えないなんてふざけた決まり馬鹿正直に守ってるような、腑抜け野郎と一緒にするな」
 冗談めかした言葉に返ってきたのは、心外だと言わんばかりの答え。
 眉間に皺を寄せて不機嫌そうに、だけどこの上なく真剣な表情で、サスケはナルトを抱き寄せる。
 「雨だろうが嵐だろうが、会いたい時に会いたい奴に会う。誰に命令されたって絶対に離れない。たとえ・・・」
 おまえがそれを望んだとしても。
 ささやきが、低く熱く耳をくすぐる。
 ナルトは黙ったまま、抱きしめてくる背に腕を回した。
 ナルトよりほんの少し広い背中は、それでもまだま子供のもの。
 けれどそこに篭もる力と想いは。
 時々、痛くてうずくまってしまいそうなくらい。 
 けれど嬉しくて泣きたくなるくらいに、強く。
 「約束する」
 「ナルト?」
 「もしもいつかおまえが何か願い事ができたら、それがオレに叶えられることだったら」
 一年先か、十年先か、もしかしたら明日かもしれない。
 もしも二人が、深く暗い川に隔てられる時が来たら。
 もしもその時にまだ、願ってくれるのなら。
 「おまえのお願い、きいてやるってば」
 「本当に?」
 「本当に」
 「絶対だな」
 「絶対」
 「信じる、からな」
 小さな子供のように必死な目をして、サスケは縋るようにナルトを抱きしめる。
 ぎゅうっと抱き返して、ナルトは小さく微笑んだ。






 きっとサスケは、願ってくれる。
 だから、その時には。
 (オレも、川を渡るよ)
 たとえばその川は、向こう岸が見えないくらいに広く深く。
 一歩踏み出せば、途端に波が逆巻いて。
 もしかして、共に激流に飲み込まれてしまうことになるかもしれないけれど。
 (ずっと、一緒に)






 


 願うことだけは許してほしいと、見えない星に願う。




 
 

 
 

 何故に今更七夕話。
 実は、ちゃんと去年の6月くらいから書き始めてました。が、半分くらい書いた所で他の話を書きたくなり、時期的にサスケBD話に着手してしまったため、途中でほったらかしに。だって普通、七夕とBDつったら、BDを優先するよね?
 で、古いファイルを整理してたらうっかり見つけちゃって、続き書いてみたら一応終わったんでアップしました。いっそ今年の7月まで取っとくかと思ったんだけど、そんな先のことは分からん。
 タイトルの「かささぎの橋」は、織姫彦星が天の川渡る時、かささぎって鳥が橋になってくれるらしいです。むかーし、百人一首の本で読んだような気がするという、うろ覚えで定かじゃない話。間違ってたらさりげなくタイトル修正してるかもしれません。
(04.01.26)




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