「何すんだってば、サスケ!」
「そっちがぼんやりしてんだろうが、ウスラトンカチ」
けたたましく言い争う声を、その時彼らは確かに耳にしていた。
けれどサクラは黙々と手元の作業を続け、カカシは読破中の愛読書に視線を落としたまま、振り向こうともしなかった。
(だっていつものことだし)
あの二人のケンカなんてまったく日常茶飯事だから、わざわざ止めるなんて労力、使うだけムダ。
あんまり長引いて任務に支障をきたすようなことになったら、その時に思い知らせればいいんだし。
現に、相変わらずの低次元なやり取りはすぐに静かになったので、ほんとしょうがない二人だと、いっそ微笑ましい気分にもなっていたのだ。
だから、反応が遅れた。気付かなかった。
ざくり、と。
乾いた音がやけに大きく響いた時には、もう遅かった。
反射的に振り返った先には、対峙する黒髪の少年と金髪の少女。
珍しくもはっきりと驚愕の表情を浮かべた少年の頬には、殴られた痕がくっきりと残り。
燃えるような瞳でそれを睨みつけている少女の右手にはくないが握りしめられ、そして左手には。
「何やってんの、ナルト!」
サクラの叫びにナルトの左手がぴくりと揺れ、緩んだ指先から金色の波が滑り落ちて床に散らばった。
いつも二つに分けて結われていた長い金色の髪。その片方の房が、今はない。残っているのは根元近くでぷっつり切られた髪の毛の残骸。
止めようとするサクラを振り切って、ナルトはくないを持ちかえると、残った髪もばっさりと切り落とした。
そのままぶんと頭を振ると髪を結わえていた紐がほどけ、すっかり短くなった髪の毛が露になる。ほんの少し前まで腰程もあったそれは、今は肩までの長さもなかった。
くないを放り投げて、ナルトはもう一度拳を振り上げた。
その標的は明らかだったけれど、サスケは避けようともせずに立ち尽くしている。
呆然としているのか、覚悟を決めているのか、動かない表情からはどちらとも分からない。
「……おまえなんか!」
振り絞るような声とともに下ろされようとした拳は、寸前で止められた。
「はい、それくらいにしときなさいね」
「遅いわよ、先生!」
右手をカカシに掴まれて、サクラの非難と安堵が混じる声を聞きながら。
ナルトはただ、サスケを睨み続けた。
これ以上ないほどの、敵意を込めて。
「で、皆目理由が分からないと、おまえはそう言うわけね」
カカシの言葉に、サスケはむっと口を噤んだ。
ややあって、僅かに頷く。
ひそかにため息も吐いたのだろう。白い息が唇から漏れている。
騒動の後、サクラにナルトを託し、カカシはサスケを連れ出したのだが、12月の屋外は半端でなく寒く、込み入った話を長時間するには向かない。
今まで暖かな室内にいたのだから余計に堪える。
もっとも、次第に腫れがひどくなっていくサスケの頬には、この空気の冷たさはちょうど良かったかもしれないが。
「そんだけやられといて、分からないわけ?」
「あいつが突拍子もないことするのは、いつものことだ」
「ナルトは理由もなく人を殴るような子じゃないよ。おまえも知ってるだろう」
「…………」
黙って目を逸らす。それはサスケなりの肯定だ。
畳み掛けるようにカカシは言った。
「おまえ、自分に何の落ち度もないとか言うつもりじゃないだろうねえ」
「……いや。あいつを怒らせたのがオレなのは間違いない、と思う。けど」
「何がそんなに怒らせたのかが分からない、と」
「理由が分からないと、修復しようがない」
「修復、したいのか?」
途端にサスケはぎろりとカカシを睨みつけた。
「オレが悪いなら謝んなきゃいけねえけど、理由もなしにできるかよ」
「そーゆー理屈もありかもしんないけど。オレならとりあえず謝っちゃうね。どーしても仲直りしたいんだったら、下手なプライドなんてあるだけ無駄よ?」
「そんなんじゃねえよ!」
反射的に怒鳴るサスケの殴られていない方の頬までうっすら赤いのは、寒さのせいだけか、それとも。
「あーはいはい。とりあえず状況話してみろ。殴られる直前くらいからでいいから」
さらりと流すカカシにサスケは殺したそうな視線を投げたが、ややあってぼそぼそと話し始めた。
今日の任務はとある雑貨店の手伝いだった。
といっても接客だの商品陳列だのそういった表向きのものではない。
1年の最後の月に控えているクリスマスという名の元は異国の風習は、今やすっかり里に根付いており、この時期下忍達は、お手軽な労働力としてそれ関係の任務でてんてこまいになる。
今回7班が頼まれたのは店内に飾るクリスマス用オーナメントの作成だったから、朝から店の奥にある従業員用の小部屋にこもりっぱなしだった。
暖かな室内で、やってることといったら図画工作とさして変わりない。いつもの任務と比べれば格段に楽な仕事だ。やりがいがあるかどうかは別として。
『うわあ、きらきらぺかぺかして、すっげきれーだってばよ』
もっとも、普段と毛色が違う任務にナルトはかなりはしゃいでいて。
『ナルト、売り物には無闇に触っちゃだめよ。あ、でもこれいいわねえ。今年はこんなの作ってみようかな』
サクラもこういう飾り物に目がないのか、相当張り切っていて。
『……てめえら、いいから手を動かせ』
対するサスケは他の二人に比べて熱意は格段に欠けていたが、それでも手先の器用さと、とりあえず早く終わらせてとっとと帰りたいという一念で、ひたすら黙々とノルマをこなしていて。
そういうわけで、任務自体はそれなりに順調だったとも言える。
そんな中で、サスケとナルトがケンカを始めたのは、作業にある程度の目途がついた頃だった。
いつものとおり大した理由もなく始まったケンカは、これまたいつものとおり言い負かされたナルトがぷうっと不貞腐れて終わり、それだけだったら予定調和、何事も起きなかったのだろうけど。
ただいつもと違っていたのは。
口論のあと、ぷいと背中を向けたナルト。
長い髪がさらりと揺れ、その流れるような金色にふと手を伸ばしたサスケ。
そして驚いて振り返ったナルトに向かってサスケが告げた、たった一言。
「そしたらあいつ、いきなり髪を切ったんだ」
語り終えるとサスケは、わけ分かんねえと吐き捨てるように言った。
「そりゃおまえ……」
あーあと言いたげに頭をかいて、カカシは呆れた目でサスケを眺めた。
どこか哀れむようなそれに、サスケは苛々した口調で返す。
「何だよ、はっきり言え」
「おまえ、ナルトに一生許してもらえないかもしれないぞ」
「…………っ!」
絶句するサスケに、可哀想にねえと、カカシは誰にともなく呟いた。
しゃきしゃきと軽やかな音がする。
サクラの手元で細かな金色の髪の毛が白い項に降りかかり、時たまそれを軽く払ってやるとナルトはくすぐったそうに首を竦めた。
「……ちくちくする」
「自業自得でしょ」
あっさり一蹴しながら、サクラは丁寧な仕草でナルトの髪を切り揃えていった。
静かな部屋にはさみの音だけが規則的に聞こえている。
カカシがサスケを連れて出て行って、そのあとサクラがまずやったのは、ぷっつり切られたナルトの髪を整えることだった。
散々愚痴をこぼしながらではあったが、それはそれは注意深く真剣に。
ありがたくはあるのだが、切ってる最中にいきなりぐいっと頭の向きを変えさせては、『やっぱりバランス的にはここはもすこし短くした方がいいわよね。ああでもこれ以上この髪を切りたくないわ!』と大仰に嘆いて見せるので、ナルトは身の置き所がない。
「あんたもどうせ切るならくないじゃなくて、せめてはさみでやんなさいよね。ここにはごろごろしてるんだから」
室内には、クリスマス用の様々な色の紙や布、そしてリースやキャンドルといった小物が散乱している。
もちろん、はさみやカッターは言うに及ばず、ペンチや金槌、ドライバーまできっちり揃っていた。
「おかげで切り口がひどいったら。結構切らないと枝毛が残っちゃうわ。ったく、あんた髪の毛だけはものすごーくキレイだったのに!」
維持するのにどれだけ苦労したと思ってるのよ、とサクラはぶつぶつこぼしている。
実際、シャンプーとリンスは別々に使うものだとか、髪を乾かさないで寝るんじゃないとか、そういうことに無頓着なナルトに業を煮やして、それはそれは辛抱強く気を配ってきたのはサクラだったから、彼女の嘆きはある意味正当だと言えなくもない。
心底悔しそうなサクラにナルトは戸惑いつつも、意を決して恐る恐る口を開いた。
「サクラちゃん……、何も聞かないってば?」
「聞いたらちゃんと答えるの?」
間髪入れず返った言葉にナルトは黙り込む。
口を開きかけて、また閉じて。
惑うナルトに、サクラは肩を竦めた。
「それに、聞かなくたって分かるもの。悪いのは間違いなくサスケ君だわ」
「え?」
「女の子に自分で髪を切らせるなんて、どんな理由があったって万死に値するわね」
大真面目に断言するサクラに、ナルトは思わず吹き出した。
「サ、サクラちゃん、厳しすぎ〜」
ひとしきり笑って、ぽつりと呟く。
「……ありがと」
「どういたしまして。でもナルト。何があったかなんて聞かないけど、サスケ君とはもう一度ちゃんと話をしなさいよ」
「やだ」
「やだって、それじゃいつまでも仲直りできないわよ」
「仲直りなんてしないもん!」
「ナルト……」
困ったようにサクラが首を傾げる。
心配そうな表情に胸がちくっとしたけれど、それでもナルトはきっぱりと言った。
「オレ、サスケのこと絶対許さない」
絶対に忘れない。
この髪に触れて、サスケが言ったこと。
いちばん、言われたくなかったこと。
『きつね、みたいな髪』
→2
(05.12.9)