くしゅっ、くしゅっ、くしゅっ、と、くしゃみが三連発で聞こえてきた。
ついで、鼻をすする音。
「ちょっと大丈夫? ナルト」
「へーきだってばよ!」
振り返ったナルトは何でもないように笑う。
鼻の頭もほっぺたも寒さで真っ赤だ。
今日、里にはこの冬一番と言われる寒気がやってきていて、こんな日に限って屋外の任務、しかもセールのチラシを配るだけ、というろくに動かないような内容では、やってられないというのが正直なところ。
それでもサクラ、そしてサスケはそれなりに防寒しているのでまだマシだったのだが。
ナルトがまた、大きなくしゃみをした。
一年中着ているんじゃないかと問い詰めたくなるような、いつもオレンジのジャケット。ふわふわのファーは一見暖かそうだが、広い襟ぐりは多分、非常に風通しがいいだろうと思われる。
おまけに、そこらの男の子より短く切られた髪から覗くうなじが、はっとする程白くて寒々しかった。
「あんまり平気そうには……」
「何やってんだ、ドベ」
不機嫌な声がサクラを遮る。
声と同じくらいに仏頂面をしたサスケが、ナルトの前に立った。
「ただでさえ足ひっぱってんのに、風邪なんかひいてんじゃねえよ」
言いながらサスケは、ナルトがまだ殆ど配れずにいるチラシの束を半分取ろうとする。
が、ナルトは俯いたまま、しっかりと抱え込んで離そうとしない。
サスケは軽く舌打ちすると、巻いていたマフラーを外してナルトに差し出した。
乱暴に突き出されたそれを、しかしナルトは振り払った。
そのままぷいと顔を背ける。
いや、最初からナルトは、サスケと決して視線を合わせなかった。
「オレ、あっちで配ってくる」
強張った顔で、道の向こうに駆けていく。
その後姿を、サスケは同じくらい歪んだ顔で見送っていたが、やがて唇を噛んで背を向けた。
地面に落ちたマフラーを、放り出したままで。
「やばいかな」
「やばいでしょう」
道路の向こうとこっち側で、決してお互いを視界に入れないようにしている二人を眺めつつ、カカシとサクラはこそこそ話し合った。
「いつもならあそこで『ドベ言うな!』ってナルトが怒鳴って」
「そこでサスケが『ドベにドベって言って何が悪い』ってうそぶいて」
「最後にナルトが『サスケのばかやろー』ってとどめをさして喧嘩別れ」
「って、今の状況と変わらないんじゃないか?」
はははと乾いた笑いを漏らして、彼らは同時にため息を吐いた。
「大違いなのよね」
「サスケ的には、それを狙ってたんだろうけどなあ」
「まあ、なし崩しにすませちゃおうとしてたわけ? それってサイテー」
「厳しいねえ、サクラさん」
そもそもあの二人のケンカはいつも、サスケがナルトを一方的に怒らせることで始まるので、ナルトが機嫌を直せばそこで終りなのだ。
そして何にせよ感情表現が豊かなあの少女は、怒る時は瞬間湯沸し器並にあっという間に加熱して、相手に怒りをすべてぶちまけるけれど、それと比例するように収まるのも早く、後に残らない。
むしろ記憶から削除してしまってるんじゃないかと疑いそうになるくらいだ。
だが今回は違う。
あれから既に一週間ほど過ぎているが、いまだにナルトはサスケと口をきかない。話し掛けても振り向こうとすらしない。決して視線を向けない。
まるで存在そのものをなかったことにするかのように、徹底的に無視をした。
それは、およそナルト本来の気質らしからぬ態度だった。
「一応、サスケも謝ろうとしたらしいけどな」
「やったことがないことをやろうとしたって、そうそう上手くはいかないわよね」
「つーかそれ以前の問題だな」
見ている限り、ナルトの態度はまったく取り付くしまがなく、そもそも謝る機会をサスケは与えられていない。
それでもしばらくは下手(あくまでもサスケ基準。世間一般では辛うじて普通レベル)に出ていた態度は今ではすっかり元通り、むしろ以前より毒舌はきつくなった感すらある。
どうやら、もう一度ナルトを怒らせることで、とにかく何とか会話に持っていこうとしてるらしいのだが。
「つまりこれ以上怒りようがない程、もう怒ってるんだから、効果があるわけないのよね」
「……思うんだけどもさ、サクラ。おまえ、今回のことについては、ものすごーくサスケに批判的だよねえ」
むしろ完全に被告扱いだ。
色々と思うところあったのか、今はいち抜けしているらしいけれど、かつてはあれ程夢中になっていた相手に対して、この冷ややかな態度はどうだろう。
恐る恐る切り出したカカシに、サクラはふんと鼻を鳴らした。
「あったりまえでしょ。ねえ先生、この髪、ここまで伸ばすのにどれだけかかったって思う?」
言いながら、ひょいと自分の髪を摘み上げる。
薄紅色のつややかな髪が、さらりと流れた。
「時間だけじゃないわよ。伸ばしてると枝毛も出来るし、あちこち不揃いな部分も出てくるし、そういうのを切りそろえながら、地道に伸ばしてく手間って半端じゃないんだから。肩くらいになったあたりが大変だったわね。丁度夏の暑い盛りで、結んだりアップにする程の長さはないし、襟元に風が通る程は短くないしで、うっとうしいったらなかったわ。おまけに肩の辺りで妙な跳ね方してまとまらないし。あの時はホント、いっそばっさりやっちゃうか本気で悩んだわよ」
「あー、それはご苦労さま……」
「ナルトの髪なんて私より長いくらいだったのに、あんなにあっさり切っちゃって。しかもくないよ、くない。信じらんないわ。そんなことさせたサスケ君に、同情できると思う?」
一気にまくし立てて、サクラは軽く息を吐いた。
「先生、サスケ君はナルトに何を言ったの? なんであの子はあんなに傷ついてるの?」
あれからナルトは、カカシとサクラにはいつもどおりの態度を取っている……つもりではあるのだろう。
けれど、それは到底成功しているとは言いがたかった。
「ナルト、あれから全然笑わないのよ。サスケ君のこと、ただ怒ってるんでもないと思う。あんな泣きそうな顔してるの、どうして?」
「それは言えない」
「先生!」
「サクラにも、人から言われたくないようなことはあるだろう?」
カカシの言葉に、サクラは反射的に額に手をやった。
かつて、どうしようもないコンプレックスの源だった場所。
友人によって救われたけども、今でもまったくこだわりが無くなったわけじゃない。
「ナルトは、そういうことをサスケに言われたんだ。多分、サクラには知られたくないよ」
そして、カカシの口からは決して言えない。
ナルトのコンプレックスは、里の禁忌にそのまま繋がっている。
サクラはしばし黙り込んで、それから殆ど睨むようにカカシを見据えた。
「じゃあ結局、悪いのは全部サスケ君なのよね。それなら平身低頭して謝るなり何なり、サスケ君が全部きちんと始末をつけるべきなのよね」
「ま、そういうことだろうな。サスケには相当荷が重いだろうけど」
謝るとか穏便に処理する、ということがとことん苦手な性格だから、とカカシは苦笑する。
「それでもサスケ君に頑張ってもらわないとダメなのよ。……何もしないで失恋するのは、一人で十分だわ」
「そうか」
俯くサクラの頭に、カカシはぽんと手を置いた。
「サクラはいい子だな」
「いい子じゃないわ。手助けなんか、してあげないんだから」
「いい子だよ」
薄紅色の頭を柔らかく撫でながら、カカシは顔を上げる。
視線の先には、黙々と任務を続ける二人の子供。
白い息を吐きながら、サスケは時折ナルトに目をやって、その度にやりきれない表情を浮かべた。
そして頑なに顔を背け続けるナルト。
カカシは小さく嘆息した。
サスケは、気付くだろうか。
(だったらまだ、見込みはあるんだけどね)
サスケは確かにナルトを傷つけた。
けれど、それは。
サスケだったから、こんなにも傷ついているということを。
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(05.12.18)