しんしんと、凍てつく夜の冷気が凍みこんでくる。
 てのひらに吐いた息は、わずかなぬくもりだけ残してすぐに白く溶けた。
 煌々とした街灯りと、行き交う人々のざわめき。
 通り一つほどしか離れてないのに、遠くの出来事のようだ。
「もう夜なのに結構人がいるってば。こんなに寒いのに」
「そりゃイブだもの」
 寒さに震えながらナルトが呟けば、すかさずサクラが切り返した。
 二人ともその身に纏うのは赤い上着に赤いズボン、そして赤い帽子。
 もちろん、ふわふわの白い縁取りがついている。
「こんな日にこんな格好で、何で路地裏なんかにいるのかしらね、私たち」
「任務だからに決まってるだろ」
 同じ格好のサスケが、不機嫌そうに言った。
 余程気に入らないのだろう、帽子は取ってポケットに突っ込んでいる。
「所詮下忍に任務のえり好みは出来ないってのは分かってるけどね」
 だけどやっぱり悔しいわ、とサクラが肩を竦めた。
 その横で、ナルトは無言のまま、少しばかり俯いて視線を逸らす。
 あからさまなその様子に、サクラは小さくため息を吐き、サスケはむっとして口を噤んだ。
 ここ数週間のお決まりの構図は、今日も変化はない。
 結局、ナルトとサスケの関係は、今に至るまで修復されないままだった。
 当事者にとっても、見守る者にとっても、そろそろこの緊張感は耐え難い。
「おまえら、準備はできたかー?」
 のほほんと何も考えてないような声に、3人はほっとしたように振り向いた。
 もちろん、相変わらず時間に遅れる上司に向かって、軽い文句は忘れないけれども。
「出来てないのはてめえだけだ」
「見れば分かるでしょ」
「早く始めようってばよ」
「おー、張り切ってるな。じゃあこれ持って」
 言いながら、カカシは白い袋を一つずつ手渡した。
 両手で抱えるほどの大きさのそれは、さほど重くはなく、持ち上げると箱と箱がぶつかり合う感触がした。
 赤い服を着て、肩に白い袋を背負うと、なりが小さめのサンタが3人出来上がる。
 これが本日の任務、いわゆるサンタ配達便だ。
 それは近頃流行のサービスで、特定の店でクリスマスプレゼントを買えば、イブの夜にサンタが枕元に届けてくれるというもの。特に小さな子供を持つ親に需要が高い。
 当然この場合サンタと言っても本物のわけはなく、かと言って宅配業者に頼むには、業者側も他にも色々多忙だし、何よりコストがバカ高い。
 となれば、そういう仕事が回ってくるのは、お手軽価格かつ人数確保も容易な下忍達というわけで。
「だけど何で本当にサンタの格好しなきゃいけないの? 枕元にこっそり置いてくるだけなんだから、普通の服だって変わらないじゃない」
「一応、夜間こっそりふつーの民家に忍び込むわけだし。サンタ服でも着てないと泥棒に間違われるぞ?」
「サンタ服だって十分怪しいと思うわ。じゃあ何で先生だけ着てないのよ」
「そりゃー、オレはおまえらが帰るの待ってるだけだからねえ」
「えーっ、そんなのずるい!」
「何言ってんの、修行、修行」
 どこが修行だ、と誰もが思ったが、それは口にしなかった。
 無駄なことをするより、とっととやるべきことをした方がマシ。
 それが身に沁みている子供達は、速やかに己の荷物を確かめて、配達を始めようとする。
「あ、ナルトはちょっと残んなさい」
「え?」
 が、カカシの呼びかけに、走りかけていたナルトがぴたりと足を止めた。
「大したことじゃ、ないない。すぐすむよ。……だから、おまえらも心配しないで、先行きなさいね」
 その台詞はナルトにではなく、少し先で心配そうに見ている少年と少女に向かって言われたもの。
 驚いて振り返ったナルトの瞳がサスケのそれと合った。
 随分と久しぶりに合わせた視線を、先に逸らしたのはサスケの方。そのまま無言で駆け出していく。
 何か言いたげなサクラも結局口を開くことなく立ち去ってしまって、ナルトは一人、残された。






 やっぱり、言われるんだろうな。
(あいつのこと)
 皆が行ってしまった方を見ながら、ナルトは落ち着きなく考えた。
 サスケと口を聞かなくなってからどれくらいになるか、もう正確には分からない。
 普通ならとっくに任務に支障が出ていそうなものだが、幸か不幸かこのところ入ってきたのはクリスマスに関するものばかり。
 それらは大抵、分担やノルマがきっちりしていてあまり団体行動が必要ない内容だったので、ぎくしゃくしながらも、どうにかこなすことができたのだ。
 けれど、それも段々無理が見えてきているのは、ナルトにも分かっていた。
「どしたの、先生」
 不安げに前に立つと、カカシは苦笑したようだ。
「大したことじゃないって言ったでしょ。ほら」
 言いながらカカシはナルトの帽子を一旦取り上げて、かなり深めにかぶり直させた。
 真っ赤な帽子が、殆ど顔の上半分を隠すような勢いで、すっぽりとナルトの頭を覆う。
「先生?」
「おまえそのアタマ、見てる方が寒いんだよ。それくらいかぶっておけば、あったかいでしょ。それに」
 カカシの隻眼が、すっと細くなる。
「そうすれば、見られなくてすむよ。おまえの嫌いな『きつねいろ』の髪」
 ナルトは、はっと息を呑んだ。
 身体が震える。頭のどこかがかっと熱くなる。
 けれど。
 ぐっと拳を握り締める。開いて。もう一度ゆっくりと握る。
 それを何度か繰り返し、ナルトは大きく息を吐いた。
 見下ろすカカシに、にいっと笑んで、帽子を地面に放り投げる。
 ぶんと頭を振ると、金色の短い髪が空気を切った。
「だから、どうしたってば。そんなの、カンケーないもんね」
「そうだな」
 ふっとカカシは笑った。柔らかな笑み。
 そうしてナルトが落とした帽子を拾い上げ、軽く叩いて埃を落とすともう一度、今度はごく浅めにナルトにかぶらせた。
 赤い帽子と金色の髪の鮮やかなコントラスト。
「知ってるよ。おまえは強い。誰に何を言われても負けないくらい強い」
 屈み込んだカカシが、ナルトと視線を合わせてくる。
 優しい瞳にほっとして、身体の力を抜いたその時、
「でも、それならなんで、サスケのことは許せないの?」
 今度こそ、本当に息が止まったかと思った。
「……許さないったら許さない!」
 それでもどうにか言い返して、ナルトは激しく頭を振った。
「どうして」
「だって、だってだってだって! ヤなこと言ったのサスケの方だもん! オレのこと嫌ってるの、あいつの方だってばぁ!」 
 きつね。
 それは、里の忌み言葉。
 どんなに憎い相手にも、蔑むべき相手にも、容易くかけることはない。口にすることすら厭わしい。
 そして、おおっぴらではないにしろ、ずっとずっと言われ続けたこの上ない悪意の言葉。
「だけどナルト。許してやれないのも、辛いだろう?」
 柔らかなカカシの言葉に、ナルトはぴくりと身体を揺らす。
 迷うように瞳が揺れて、けれど紡ぎかけた言葉はきゅっと唇を噛んで封じ込めた。
 代わりに、
「何で先生、そんなこと言うの。オレってば悪くねーもん」
 責めるような響きに、カカシはくすりと笑う。
「そりゃそうだ。でもな、ナルト。知ってるか? 明日はカミサマの誕生日なんだぞ」
「……だから何」
「そのカミサマは、人を許してあげるのが大好きなんだって。右の頬をぶたれたら左の頬もぶって、みたいな」
「それ、ただの変な人だってばよ」
「ははは。まあそれはともかく。誕生日にはさ、その人が喜ぶようなことをしてあげるもんなじゃないの?」
「カミサマは人じゃないもん。……それにオレ、カミサマじゃないからそんなことできねーってば」
 ぽつりと小さな呟きに、カカシはそうか、とだけ言った。
 それきりもう、何も言わなかった。






「ふう、やっと残り一軒だってば」
 どっこらしょと、ナルトはすっかり軽くなった白い袋を担ぎなおした。
 中にはもうプレゼントの箱を一つ残すだけのそれは、わざわざ担ぐほどの重さもないのだが、こうした方がサンタらしく見えるような気がする。
 カカシに引き止められていたせいで、随分遅くなってしまったけれど、どうにか予定時刻をそう遅れずに済みそうだ。
 最後の家に急ぎ足で向かいながら、不意に強くなった夜風にナルトは身を縮めた。
 以前は身体を動かすたびに嫌でも視界に入ってきた長い髪は今はなく、むき出しのうなじから忍び込んでくる空気が、震えるほど冷たい。
 元々ナルトが髪を伸ばしていたのは身を飾るためではなく、それ自体にはさして執着を持っていなかった。少なくとも、サクラ程には。
 それでも、かなりの不便と面倒を耐えてあそこまで伸ばしていたのは。
 ナルトは、髪を摘み上げると目の前に持って来ようとした。
 けれど今の長さではそれは中々かなわず、思い切り引っ張ってようやく髪の先がどうにか見えるくらい。
 それでも夜目でも分かる金色は、この里でナルトしか持たない色。……里人達が、憎い狐を見分ける色。
 遠いところからでも容易くわかるこの色めがけて注がれる悪意の渦は、幾度となくナルトを打ちのめしたけれど。
 そんなものには、負けない。
 いつか誰より強くなって、それもこれも全部ひっくるめて皆に認めさせるのだと、そう決心して。
 誰が何と言おうとオレはオレだと、人々に、そして自分に示すためにずっと伸ばしていた髪。
 だけど。
『きつねみたいな髪』
 ただそれだけの言葉。これまで投げつけられてきた言葉に比べれば、いっそ生易しくすらあるのに。
(サスケが、言った)
 それだけで、目の前が真っ赤になった。何も考えられなくなった。
 目の端をちらちらする己の髪が、この上なく厭わしく、憎らしいものに感じられて。
 気付いたら、くないで切り落としていた。
(きつね)
 耳に残る声。何を考えているか分からない、平坦な響き。
 目を瞑ると浮かぶ、その姿。
 闇に溶けるような黒い髪と黒い瞳。秀でた体術。冷静な判断力。まだ未熟ではあるけれど、これから力強く育つだろうことは確実な少年の体躯。
 どこを取っても忍として理想的なそれらは、ナルトとは正反対の、そして欲しくてたまらなかったもの。
 ずっと見てた。憧れた。憧れすぎてムカついた。
 だから。
(きつね、みたい)
 サスケにだけは、言われたくなかった。
 





「……いけね」
 知らず知らず、足が止まっていたらしい。
 足元から立ち上ってくる寒さに、ナルトは慌てて歩き始めた。
 とにかく今は、任務に集中しなければ。
 己を叱咤して、次第に全速力で走り始める。
 もう夜も遅く人通りは殆どなかったから、歩行者に迷惑をかける心配はない。
 最後の家は幸いあまり遠くはなく、さしたる時間もかからずたどり着いた。
「えっと、ここは確か子供部屋は一階の西の端……」
 メモを見ながら、ナルトはそうっと門から庭に入り込む。
 この家も例にもれず、子供の枕元に届けて欲しいという両親からの依頼であったので、門は最初から開いていたし、子供部屋の窓の鍵も開けてあるはずだ。
 そっと音を立てないよう窓を開け、桟に足をかけて部屋に入ろうとしたその時。
「わあっ、ホントにサンタさんが来た!」
 突然目の前に現れたのは、パジャマ姿の男の子。
 5歳にはなっていないだろうその子は、大きな目をくりくりさせて、喜び一杯の顔でナルトを見つめていた。
「ぼくねえ、サンタさんに会いたくって待ってたんだ! いっぱいねむたいのガマンして、ずーっとずーっと待ってたんだよ」
「そ、そう。えらいってばよ……」
 突然の事態に混乱しながら、ナルトはようやくそれだけ答えた。
 とりあえず外は寒いし、このままじゃこんな小さい子風邪ひいちゃうし、ということで、ひとまず室内に入ったものの、ほとんどパニック状態だ。
(どうしようどうしよう、こんなん聞いてないってば! と、とにかくここはなんとか誤魔化して、プレゼントだけ置いて帰ればいい……よな?)
 どうにか打開策らしきものを思いついて、おっかなびっくり実行しようとしたところ、今度は騒々しい音を立てて部屋のドアが開いた。
 子供部屋から聞こえてきた騒動に、母親が駆け込んできたのだ。
「どうしたの! 大丈夫……あ、なんだ、おねが……」
 そこまで言って、母親は慌てて咳払いした。
 お願いしてたサンタさんじゃないの、と言いかけたようだが、子供にバレてはまずいと辛うじて自制が働いたらしい。
「まあ、サンタさん、遠いところをようこそ。ほら、サンタさんに挨拶なさい」
 結構芝居気があるらしい母親は、取り繕うようににっこりと笑いながら、子供を促した。
「うん! サンタさんこんばんは。いらっしゃいませ」
「え、えと、こんばんは。それじゃこれ、プレゼントだってばよ」
「わぁい!」 
 戸惑いつつ、どうにか場が収まりそうなことにほっとして、ナルトは袋からプレゼントを取り出した。
 目を輝かせて、子供が受け取ろうとして手を伸ばす。
「まあまあ、ありがとうございます……あら、あなた……」
 にこにこしながらそれを眺めていた母親の表情が変わった。
 その目は、帽子から覗くナルトの髪に注がれている。
 覚えのある、ありすぎる視線にナルトは反射的に身構えた。
「なんでアンタがいるの!」
 叫びながら、母親はナルトの手からプレゼントを叩き落した。 
「汚らわしい……出て行って! この子に近寄らないでちょうだい!」
「ままぁ、プレゼント……」
「触るんじゃありません!」
 母親の怒鳴り声に怯えた子供が火がついたように泣き出すのも構わず、憎々しげにナルトを睨みつける。
 ひとつため息を吐いて、ナルトは床からプレゼントを拾い上げた。
 不思議なくらい心は波立たない。
 どちらかと言えば、ああまたか、と諦めに近い。
 しょうがない。今はまだ、認められていないのだから。
 いつか受け入れてもらえれば、それで。
 ぐすぐすと泣いている子供に、ごめんねと口の中だけで呟いて、ナルトはプレゼントを袋に戻すと窓から出て行こうとした。
 けれど、そこには。
「……サスケ」
 窓枠に片足をかけて、仁王立つ姿。
 月を背にしているために表情ははっきりしなかったが、ナルトが思わずもらした言葉に、その口元は僅かに綻んだように見えた。
 しかし、それ以上問いかける間もなく、サスケはずかずかと室内に入り込んできた。
 鋭い視線が、ナルトを通り越して母親に向かう。
「てめえ……」
「サスケっ、駄目だってば!」
 はっとして、ナルトはその前に立ちふさがった。
 母親と子供を背中に庇うように、真っ向から睨みあう。
 サスケは、何故か怯んだようだった。
 黒い瞳には、驚きと戸惑いの色が強い。
 サスケに向かってゆっくりと首を横に振ってみせながら、ナルトは後ろを振り返った。
 一瞬の激昂は既に去ったのだろう、母親が気まずそうな顔をして目を逸らす。
 ナルトは、再び袋の中からプレゼントを取り出して、まだ鼻をぐすぐすさせている子供にそうっと渡した。小さな手に間違っても触れないように、注意深く。
「はい、プレゼント。……メリークリスマス」
 ぱっと顔を輝かせる子供に、母親が何か言いたげに口を開く。
 それを遮って、ナルトは子供に聞こえないよう、ごく小さな声で囁いた。
 サスケの耳には入ってしまうだろうが、仕方ない。 
「オレ、運んできただけだから。中身が何だか知らないし、全然さわってもないってば。……だから、大丈夫だってばよ」
 早口にそれだけ言うと、急いで背を向けた。
 すると、すぐ後ろにいたらしいサスケと衝突しそうになり、すんでのところで立ち止まる。
「…………え?」
 突然、サスケがナルトの手を握り締めた。
 冷たい手。
 ナルトの手もそれに負けず劣らず冷たいはずだ。
 冷たすぎて、じんじんと痛みすら感じる。
 呆然としている間に、強い力で引っ張られ、殆ど引きずり出される勢いで、外に連れ出された。
 そのまま、振り向きもしないでサスケが走り出した。
 手を握られたままなので、勢いナルトも一緒に走ることになる。
「サンタのおねえちゃん、ありがとう!」
 子供の声がたちまち遠くなっていく。
「な……何だってばよ、サスケ!」
 問いかけに答えは返らず、ただ握った手に力が込もった。
 





 走って、走って。
 手を引っ張られながら走るという不自然な体勢に、さしものナルトも息を切らし始めた頃、ようやくサスケが足を止めた。
 大きく数回深呼吸をして、どうにか落ち着いて、ナルトはふと繋いだままの手の平に気付く。
 あんなに冷たかった手が、今はとても暖かい。
「は、はなせってば!」
 慌てて振り払うと、さしたる抵抗もなく手は外れた。
 いや、むしろサスケから振りほどいたような。
 何故だかショックを覚えて思わず仰ぎ見れば、サスケはじっとナルトを見ていた。
 今まで見たことがない程、怒りに満ちた表情で。

  






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(05.12.22)




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