ぷすぷすと、サスケの足元で電気ストーブが少しばかり不穏な音を立てた。
「近頃調子悪いんだってばよ。そろそろやばいかなあ」
胡乱げに見つめるサスケに言い訳するようにナルトは呟いたが、スイッチを切ろうとはしない。
改めて見回すまでもなく、ナルトが一人住むこの部屋には他に暖房器具と呼べる物は存在しないようだった。
椅子に座るサスケとベッドに腰掛けるナルトの間に、ちんまりと置かれたストーブ。
かなり築年数の古そうなアパートは、外のように身を切るような冷たさとまではいかないが、ほっと心を和ませるほど暖かいわけでもなく、むしろ動かない分だけ寒さが沁みてくるようにも感じる。
こんな壊れかけのちっぽけなストーブのぬくもりでも、ないよりは随分マシだ。
ガスではないから、少なくとも一酸化中毒の心配はない。さすがに寝る時は切るだろうから知らぬ間に漏電することもないだろう。それともまさか、消すの忘れて寝てたりしないだろうか。
つい思いを巡らしている自分に気付いて、サスケは舌打ちしたい気分になった。
………まるでこれじゃ心配してるみたいだ。
ナルトの部屋で二人向き合って座っている、なんて予想外過ぎて現実感さえ乏しいようなこの状況も、元を正せばサスケの不覚から生じたものであるから、余計に腹立たしくもなる。
『うちはサスケ?!』
帰ろうとしたその矢先、窓から外を眺めていたナルトがサスケを見つけ、思いがけない遭遇にお互い硬直したように見つめ合う中。
うっかりと、本当についうっかりと気が緩んでしまったのか、サスケは小さくくしゃみをしてしまった。
真冬の夜に薄着で外を出歩いていたのだから、当たり前だとも言えるが。
そうなると、上がって暖まっていけとナルトが言い出したのは自然の流れで、しかしそれに乗るのもなんとなく悔しい気がして。
ほんの少し迷ったあと、踵を返そうとしたその瞬間、
『待てってばよ! ホントに風邪引いちゃうってば』
叫びながら窓の桟に足をかけ、飛び降りてでも捕まえる気満々のナルトに、不本意ながらサスケが折れた。
忍者候補生とは言ってもまだまだ修行中、しかもドベ街道をぶっちぎっているナルトがこの高さから飛び降りて無事かどうかは、甚だ怪しいと言わざるを得ない。
結局渋々ながら部屋に上がったものの、そこでもまた一脚しかない椅子に誰が使うか争いが起こり、『オキャクサンは椅子に座るもの』というナルトの主張に再びサスケが妥協して、今の状況に陥ってしまっている。
サスケは、ゆっくりと頭をめぐらして部屋の中を眺めた。
古ぼけた小さなワンルームは、一人暮らしには不自由でない程度の広さしかなかったけれども、ベッドやテーブル、冷蔵庫といった必要最低限程度の家具しかないせいか、妙にがらんとした印象がある。
代わりのように窓際にいくつか植木鉢が置いてあるのを見付けて、サスケは意外に思った。
この季節にも関わらず植物達はいずれもつやつやと瑞々しく、持ち主が丁寧に育てていることを窺わせる。
植物とナルト。突拍子もないような、妙にしっくりくるような。
見るともなく眺めていると、いきなりナルトが立ち上がった。
「あ、沸いたみたいだってば」
そのままサスケの脇をすり抜けて行き、やがて背後で食器の触れ合う音が聞こえる。
さっきからずっとガスコンロからコトコト音がしていたことにやっと気が付いて、サスケは頭を抱えたくなった。
これは、思っていたよりずっと。
………重症かもしれない。
暖かいうちに飲め、と手渡されたそれを、たっぷり10秒ほど眺めたあと、サスケはおもむろに口を開いた。
「………で、これは何だ」
「牛乳、だってば。しょうがねーだろ、これしかないんだから」
もちろんサスケはそんなことが聞きたいわけではない。と言うよりそれは見れば分るので、つまり問題点はそこじゃない。
「ひとはだぬるめ、ってゆーの? ちゃんとそれっくらいの熱さにしてんだから、とっとと飲めってばよ」
言って、ナルトは自分のマグカップをぐっと傾ける。
一見つっけんどんにも聞こえる口調だったが、裏腹にその表情は大して気分を害した様子はない。むしろはしゃいでいるようにすら見えた。
それを横目で眺めつつ、サスケは再び自分の手元に目を落とした。
そこにあるのは確かにホットミルク。ほのかに湯気が立ち、手に伝わってくる温度からして適温だと思われる。
牛乳はさほど好きではないが嫌いでもなく、こんな寒い夜に身体を暖めるにはそう悪くないチョイスだとも思う。
だがしかし、重ねて言うが問題はそこじゃなかった。
「普通、牛乳はこれに入れるモンか?」
サスケが持っているもの、正確に言えば両手で掲げているものは、いわゆるどんぶりだった。
ラーメンでも入っていれば違和感ないだろうその器の中には、たっぷり7分目くらいまでホットミルクが注がれていて、さすがに片手で持つのは難しい。
「だってカップひとつしかねーんだもん」
「だったらオレにそっちを寄越せ」
「えー、でもオキャクサンにはサービスするもんだってばよ?」
誰が客だ。
そう思ったが、サスケはそれを言葉にすることは辛うじて耐えた。
何故かひどく期待した表情で見守るナルトに、何となく反論する気も削がれて。
吹っ切るようにサスケはどんぶりを口に持っていくと、ホットミルクを一口啜った。
ナルトの言うとおりそれは舌に丁度いい熱さで、冷えた身体を内から暖めてくれるようだ。
こくりとサスケの喉が動くのを見て、ナルトがふんわり笑う。
何嬉しそうにしてやがるウスラトンカチ、客がそんなに珍しいか。
胸の内で毒づきかけて、サスケは気が付いた。
とても珍しいのだ。ナルトにとって、客は。
むしろ初めてなのかもしれない。
気付いてしまえば、椅子も食器も何もかも一人分しかない部屋を見れば、あまりにも一目瞭然だ。
ナルトが一人で暮らしていることは知っていた。
家族がいないというより最初から存在しないと言った方がいいくらい係累のけの字もないナルトの境遇はかなり有名で、知らない奴の方が珍しい。
そのせいかどうか分らないが、何となく気にかかって、姿を見たら目で追ってしまう癖がつくともなしについてしまった。
普段のナルトのあまりにも能天気な言動に、こいつ神経ないんじゃないかと思うこともしばしばだったが、それだけじゃないとサスケは知っている。
似たような境遇ではあったけれどサスケと違ってナルトは時折そのことで、酷い揶揄を受けることがあった。
けれど、サスケだったら相手を半殺しにしても飽き足らないだろう言葉を投げつけられても、ナルトは怒るどころか相手に笑って見せさえした。
媚でもへつらいでもない、ごく自然な不屈の笑み。
サスケがはっきりとナルトを意識し始めたのは、それからだったかもしれない。
それはさておき、先程からの妙にはしゃいだナルトの態度の理由はそういうことかと、サスケはようやく納得した。
どうやら久しぶり(あるいは初めて)の客が嬉しくてしょうがないらしい。
それがサスケでも嬉しいのか、それとも、サスケだから嬉しいのか。
一体どっちだ、と考えかけて、サスケは頭を振った。
………どっちでもいいじゃねえか。
本当に、自分は一体どうしたのだろうと、サスケはまたしても自問を繰り返した。
何だか今日はずっとナルトのペースに乗せられているようで、しかも段々深みにはまっている気がする。
機嫌がいいナルトは、いつものようにサスケにいちいち突っかかったりしないので、どうにも会話が続かない。
喧嘩腰じゃないと会話が成り立たないというのもどうかと思うが、それがいつもの構図だったので、いきなり違う状況に置かれてもどうしていいか分らないのだ。
あいにくと、アカデミーの成績ほどにはサスケの口は優秀ではなかった。
視線を巡らせばテーブルの上に置いたままの白い箱が目に入り、ますます途方に暮れた心地になる。
実はサスケの予想では、部屋に入ったところですぐにいつもの喧嘩が始まるだろうし、そうしたら適当に言い訳をこしらえて、うやむやのうちにサクラのケーキを置いていくはずだったのだ。
けれど実際は喧嘩どころか、差し向かいでホットミルクなんぞ飲んでいる。
まるで、仲のいい友達みたいに。
かっと胸の奥が熱くなって、サスケは慌ててミルクを飲み干した。
実際は一口で飲みきれるような量ではなかったので、途中でむせそうになってしまったが。
いきなりの行動にびっくりしたのか、ナルトは目を丸くしてサスケを見た。
椅子とベッドの高さの違いのせいでいつもよりかなり低い位置から見上げるその視線は、サスケをひどく落ち着かない気分にさせる。
「サスケ、牛乳好きだったんだ。よかったってばよ」
ほけほけと笑うナルトに、ボケてんじゃねえドベ、とサスケは心の中でひっそり毒づいた。
いつもなら口に出して言うところを心の中だけで留めておいたのは、今のこの雰囲気を壊すのが惜しかったかもしれない。
けれど同時に、もうこの辺りにしておかなければと思う。
ここは妙に居心地が良くて、けれどこれ以上それに浸っていると、まずいことになりそうな予感がした。
まるで、気付きたくないものに、気付かされてしまうような。
サスケはどんぶりをテーブルに置くと、ケーキの箱に手を伸ばした。
本来これをナルトに渡すことが目的だったのだから、とっととそれを遂行して、牛乳の礼くらいは言って、今度こそ帰ろう。
「ナル………」
決心して呼びかけた言葉は、途中で止まった。
目の前には、さっきまでとは大違いの拗ねたようなむくれた顔のナルトがいて、
「もう、帰るってばよ?」
一瞬何を言われたか分らなくてうっかり箱を潰しそうになった手を、辛うじて引っ込める。
そういえば。
軽く混乱した頭の中で、サスケは今更ながら気が付いた。
ナルトは、最初から何も尋ねなかった。
この箱が一体何なのか、サスケがここまでやってきた理由すら、まったくこれっぽっちも。
何故と思った瞬間、サスケは思わず口走っていた。
「おまえ、何でサクラのパーティーに行かなかったんだ」
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(04.12.18)